原爆投下の象徴「原爆ドーム」。
ゆうべ「村上海賊」というところで全員6人で夕飯を食べて、部屋に帰ってからコンビニで買ってきた缶酎ハイを飲んだら、早い時間に寝てしまった。
起きたら、まだ日付が変わっていなかった。
16階から見える広島の夜景を眺めながら、もう1本缶酎ハイをあける。タブレットでYoutubeをいろいろ見てから、二度寝体勢にはいる。
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12月16日、日曜日。晴れ。
翌朝も早く起きた。窓から朝焼けの景色を眺める。
16階のエレベーター前から撮った朝焼けの風景。
朝食はバラバラで、10時にロビー集合ということだったので、妻と早めに朝食をとる。それから部屋に帰ってシャワーを浴び、9時半まで眠った。
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きょうも、甥のケンちゃんの運転で出発。平和記念公園へ向かう。近くの駐車場へクルマを停めて、まず原爆ドームを見る。
原爆ドームのそばに川が流れている。この川にも、きっとたくさんのひとが熱さをのがれ、水を求めて飛び込み、亡くなっていたんだろうな、と「その日」を想像してしまう。
原爆ドームの横を流れる元安川。たくさんのひとが熱さを逃れ、水を求めて川へはいった。
1945年(昭和20年)、8月6日午前8時15分に、広島へ原爆が投下された。投下したのは、アメリカ。
わたしは広島へくるのは、2度目だけれど、小説や映画やマンガや、丸木伊里・俊夫妻の大作「原爆の図」で、原爆投下とその後の様子を疑似体験している。
丸木伊里・俊夫妻が建てた「原爆の図 丸木美術館」は、埼玉の東松山にある。一度いっても次もまた迷ってしまうような辺鄙なところだが、何度か足を運んでいる。
最初行ったときは、丸木夫妻がご健在のころだった。
テレビに丸木夫妻が出て、「原爆の図」がアメリカへわたって展覧会がひらかれている、という話をしていた。
「原爆の図」が日本へもどってきたころ、「丸木美術館」へ妻と出かけた。東北大地震よりも、ずいぶん前。
あの原発事故は起こっていなかったが、「丸木美術館」は原発に反対して、自家発電を利用していた。だから、美術館は暗く、冬は暖房がきいていなくて、寒かった。
わたしは屏風(びょうぶ)に描かれた「原爆の図」(連作)を、はじめて生で見た。薄暗いなかで見る原爆の絵は、すごかった。
全15部のなかに、第3部「水」という作品がある。ここには川のなかへ逃げ込んだひとたちの地獄絵が描かれている。
「水」によせて丸木夫妻が書かれた文がある。
足の方を外側にして、顔を中心にして、死体の山がありました。
顔や口や鼻がなるべく見えないように積み重ねてあったのです。
焼き忘れられた山の中から、
まだ目玉を動かして、じっと見ている人がいました。
本当にまだ生きていたのでしょうか。
それともうじが入っていてそれで動いたのでしょうか。
水、水。人々は水を求めてさまよいました。
燃える炎をのがれて、末期の水を求めて……
傷ついた母と子は、川をつたって逃げました。
水の深みに落ち込んだり、あわてて浅瀬へのぼり、走り、
炎が川をつつんであれ狂う中を水に頭を冷やしながら、
のがれのがれて、 ようやくここまで来たのです。
乳をのませようとしてはじめて、
わが子のこときれているのを知ったのです。
20世紀の母子像。
傷ついた母が死んだ子を抱いている。
絶望の母子像ではないでしょうか。
母子像というのは、希望の母と子でなければならないはずです。
先日、NHKで、原爆投下から8年後につくられた『ひろしま』という映画について特集していた。この映画には、じっさいの被爆者が多勢参加しているという。断片的に映像を見ても、原爆投下後の描写がリアルだった。
ノーベル平和賞を受賞したサーロー節子さんも、被曝体験を語っている。被曝者が被曝者を演じてとてもリアルだが、出演者のひとりは、ほんとうはこんなものではない、とも話していた。
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原爆ドームを見てから、「平和記念資料館」を見る。最近リニューアルされたことはニュースで知っていたが、むかし十代のときに見た記憶はほとんどない。
被曝者の遺品(たいていは着ていた衣服のちぎれた部分とか真っ黒く焼けて変形した弁当箱のようなもの)が展示されていて、そのひとの原爆投下後、死に至るまでの様子が書かれている。ひとりひとりにそれぞれの被曝体験があったことがわかる。
最初はひとつひとつ読んでいたが、見にきていたユミちゃんも妻も早々に通り過ぎていったので、後半は説明を斜め読みする。
ミヤちゃんが、資料館の説明ビデオを見ていた。
クルマへもどると、やっぱりミヤちゃんが帰ってない(笑)。
ユミちゃんが、
「シンちゃん、ミヤを見た?」
「資料館の売り場にいたよ」
とわたし。
ユミちゃんが電話すると、もうすぐ帰るという。まもなく、帰ってきた。
資料館を見て、素朴におもったことは、アメリカは、空襲により、たくさんの民間人を殺戮し、さらに広島・長崎へ原爆を投下、虫けらのように市民を大量虐殺した。
だから日本人はアメリカをどれほど憎んでもしかたがないような気がする。しかし、広島の「平和記念資料館」を見ても、加害国アメリカへの怒りは感じられない。
それはそれでいいとしても、わたしたちにほとんど危害をくわえなかったどころか、わたしたちが侵略して植民地化した隣国には、嫌悪感をあらわにしたり、憎しみの感情をいだくひとが多くいる。
この逆転現象はなんだろう?
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レンタカーを返す。わたし以外の5人は新幹線の時間までおみやげもの屋を見る、という。
わたしがロッカーを探していると、ミヤちゃんがいっしょに探してくれた。親切なのだ。ロッカーに手荷物をあずけて、ミヤちゃんと別れた。
ひとりで駅のなかの手頃な居酒屋へはいり、宮島ビールからはじめて、あとはハイボールを飲んで過ごす。
原爆とはまるで関係のない吉田修一の『沈黙の町で』という「いじめ」をテーマにした小説を、電子書籍で読む。
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妻から「みんなもどってきたから早くおいで」というメールがはいる。ほんとにみんなもどってきたかな、と疑いながら会計をすませて集合場所へいってみる。
やっぱりミヤちゃんがいなかった(笑)。
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【被爆者たちが出演】上映中止にされた超大作映画『ひろしま』とは【ETV特集×NHK1.5ch】
NHKの特集番組。
映画「ひろしま」予告編
実際の原爆投下後は、もっとひどい状況だったとおもいますが、それでもこの映像はかなりリアルです。ごらんになる方は、少し覚悟してください。