かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

ビートルズの本に登場した「ジュディ・ガーランド」。

ルーフトップ・コンサートのビートルズ

ルーフトップ・コンサートのビートルズ




最近読んだのが、トニー・バレル著(葛葉哲哉訳)『ルーフトップ・コンサートのビートルズ 世界を驚かせた屋上ライブの全貌』


この「ルーフトップ・コンサート」は、観客をいれてのふつうのライブではなく、ビートルズがビルの屋上で抜き打ち的にやったもの。


演奏したのは、1969年1月30日のお昼どきだった。


ビジネス街に鳴り響く大音量に、好意的なひとばかりではない。四方の会社から苦情が寄せられ、やがて警官も出動してくる。


その様子を、映画『レット・イット・ビー』で見ることができる。





The Beatles - Don't Let Me Down
映画のなかのワン・シーン。





新しい映画(のちの映画『レット・イット・ビー』)の最後のシーン(クライマックス)に使うライブをどこでやるかが、なかなか決まらなかった。


さまざまな案が出てきては、ボツになる。


ビートルズや映画のスタッフからは、豪華客船をチャーターして、そのなかでやるとか、イタリアかどこかの古代円形競技場でやろうとか、離れ島をひとつ借り切ってはどうかとか、いろいろ現実離れしたアイディアは出るものの、ビートルズはすぐに心変わりした。


とくに、ジョージ・ハリスンは、どれもありえない、と否定した。彼は、レコーディングに専念すべきだ、と主張する。


さまざまなアイディアが廃案になったすえ、いっそ、いまレコーディングしているビルの屋上でやったら、といういちばん簡単な(安易な?)提案に、やっとビートルズ全員の同意が得られて、ライブの場所が決定した。



トニー・バレル著(葛葉哲哉訳)『ルーフトップ・コンサートのビートルズ 世界を驚かせた屋上ライブの全貌』は、ビートルズの、この最後のライブが実現するまでの詳細なレポート。


ところで、ビートルズ最後のライブを目撃したのはどんなひとたちか?


ビートルズのレコーディング風景とコンサートを映画化しようと、最初のリハーサル風景から撮影に立ちあっていたマイケル・リンゼイ=ホッグ監督とその一同。


またビートルズのレコーデイングをプロデュースするジョージ・マーチン以下の音楽スタッフたちと、ビートルズの会社「アップル」の社員たち。


さらには当時、近隣のビルに仕事で勤務していたひとたちや、偶然そこを通りかかった幸運(?)なひとたちなど。


著者のトニー・バレルは、その日こうしたビートルズの最終ライブを目撃したひとたちに取材し、屋上ライブの全貌をとらえようとする。



今年は、このビートルズの屋上ライブを撮影した映画『レット・イット・ビー』が1970年に公開されてから、51年目になる。


ところが、映画『レット・イット・ビー』は、当時劇場公開されていらい、ビデオでもDVDでもいまだ公式に発売されていない。


今年こそ、DVDとして公式発売されるのではないか、と期待が高まっている。


ビートルズについては、今年の終わりころ、もう1本新しいドキュメンタリー映画も公開予定で(ピーター・ジャクソン監督『The Beatles: Get Back』)、こちらも公開されれば、ファンの注目を集めることはまちがいなし。


もうひとつ。


ここで書きとめておきたいのは、この本のなかに出てくるジュディ・ガーランドのこと。


晩年のすさんだ姿が映画『ジュディ 虹の彼方へ』でも描写されていたが、ここでも映画以上にひどい姿で登場する。



映画を見たひとは、もう一度くらべながら想像してください。

サヴィル・ロウの西側、チャリング・クロス・ロードでは、アメリカの伝説的なシンガーがカムバックを目指し、ミュージシャンにとって戒めになるようなショービジネスの物語を繰り広げていた。ジュディ・ガーランドが、レギュラーとして『トーク・オブ・ザ・タウン』のステージに立っていた。


(略)


毎夜11時半に始まるステージにジュディは頻繁に遅刻するばかりか、姿を見せないことさえあった。元スターの体調と声は誰にもわかるほど衰えている。彼女はアルコールとアンフェタミン、バービチュレイトの中毒だった。


1月19日、出演できなくなったシンガー、リナ・ホーンの代役として、ジュディは予定外のテレビ番組『サンデー・ナイト・アット・ザ・ロンドン・パラディアム』に出ることになった。ところが、1曲目で彼女は歌詞を思い出せず、視聴者の多くがロンドン・ウィークエンドTVのスタジオに問い合わせと非難の電話をかけた。


翌日、ホテル・リッツの自分の部屋で記者の取材を受けた彼女は〝ひどい風邪をひいているの〟と訴え、〝歌詞をとちったのは『演技の一部』よ〟と言い張った。23日の夜、『トーク・オブ・ザ・タウン』に集まった客たちは、ガーランド女史に忍耐力を試されることになった。午前0時になっても彼女が現れず、観客たちは〝なぜ私たちは待っているのだ?〟と声を一つに唱え続けた。


客をなだめようと、ダンサーたちが予定にない踊りを披露し始めたその時、「アイ・ビロング・トゥ・ロンドン」を口ずさみながら、ようやくジュディが姿を現した。ブーイングが巻き起こり、観客はロールパンやクラッカー、煙草の箱を彼女に投げつけた。〝イギリスの客に敬意を払ったらどうだ!時間どおりに来い!〟。彼女が「ゲット・ハッピー」と「サムホエア・オーバー・ザ・レインボウ」を歌っている間も、怒号とヤジ、そして嘲笑が続いた。すると男性客の一人がステージに駆け上がり、彼女のマイクを奪い取った。ジュディが〝もう十分だわ〟と叫んでステージから降りると、誰かが放り投げたグラスが彼女の後ろで砕け散った。


ジュディ・ガーランドが『トーク・オブ・ザ・タウン』の出番に現れなかったのも同じ夜だった。彼女の穴埋めを買って出たのはイギリスのミュージシャン、ロニー・ドネガン。彼のスキッフル・ミュージックは若き日のビートルズに大きな影響を与えた。


ファンとの心の交流を失ってしまった晩年のジュディ・ガーランドの姿が、哀しい。


この本は、ビートルズのライブが行われるまでの、周辺のできごとも追っている。


イギリス、とくにロンドンのひとたちには、そういう時代の空気もひっくるめて興味深いのかもしれないが、ロンドン事情に関心が薄く、できたら一気にビートルズが屋上ライブをやるまでの道程にしぼって道案内をしてもらいたいわたしには、はがゆいページも少なくなかった。


でも、突然あらわれたジュディ・ガーランドの描写は、映画とも重なり興味深く読んだ。そして映画『ジュディ 虹の彼方へ』は、けっこう事実に即してしているんだな、ってあらためておもった。