『浮草物語』。おたか(八雲理恵子)と喜八(坂本武)
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最近読んだ高橋秀実著『はい、泳げません』(Kindle版)がおもしろかった。
泳げない高橋さん(著者)が、水泳教室へ通って、桂コーチの厳しい指導のもとで泳ぐことのたのしさを知る、ってこれだけの話なのに、飄々とした味わいがなんともたのしい。具体的な泳ぐための体の細かな動作、こころのもちようを、桂コーチの独特な指導法で、著者は身につけていく。
しかし、『はい、泳げません』は、スポーツの「How To」本ではない。
文章で、身体の細かな動きを説明するのには、きめ細かな文章力と工夫が必要だと気づかせてもらう。最後まで、クスクス笑いながら読めた。
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Amazonプレミアムで、小津安二郎監督の無声映画『浮草物語』(1934年)を、松田春翆の活弁入りで見る。
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喜八(坂本武)を座長とする旅役者一座が、田舎町へやってくる。この町には、喜八のむかしの女・おつね(飯田蝶子)が住んでいた。
おつねとの関係は、むかしのような色・恋を超えて、いまはこころのやすらぐ関係になっている。
おつねとのあいだには信吉(三井秀男)という、せがれがいる。しかし、喜八とおつねは、信吉に父親が旅役者だとは知らせてなかった。喜八は、気の合うおじさんとして信吉に接している。
町によって、信吉の成長を見るのが、喜八のたのしみだった。
一座の女役者で、いま喜八の女房・おたか(八雲理恵子)は、喜八とおつねの関係を知ると、嫉妬する。
一座の若い女役者・おとき(坪内美子=つぼうち・よしこ)をよんで、信吉を誘惑するようにしむける。
町に、雨が降りつづいた。
芝居の興行は、雨が降ると客足が減る。客足が減ると、すぐ財政難になる。喜八は、一座の先行きを苦慮していた。
おたかの思惑通り、おときは信吉の誘惑に成功したが、一方、おときも純粋な信吉に惹かれていく‥‥。
信吉とおときのことを知り、それを仕向けたのがおたかだったと知った喜八は、許さない、と逆上する。
信吉は、喜八が、ふたりの関係に激怒する理由がわからず、激しい口論をする。そのとき、おつねは信吉に、喜八を「おまえのほんとのおとっつあんだよ」と知らせる。
喜八は、あり金をみんなに分けて、一座の解散を決断する。
そして、おつねに「信吉とおときのことをよろしくたのむ」と、いいおいて、ひとりで夜汽車にのる。
その夜汽車のなかに、さっき別れたはずのおたかが乗っていた‥‥。
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「キネマ旬報ベストテン」では、『大人の繪本:生まれてはみたけれど』、『出来ごころ』、につづいて第1位になっている。
このころ、小津安二郎への評価がどんどん高まっていく。
小津は、戦後(1959《昭和35》年)、『浮草』というタイトルで、『浮草物語』をリメイクしている。もちろんトーキーで、カラー映像。
『浮草物語』と『浮草』の俳優をならべてみると(役名はちがっている)、、、
となっている。
わたしは、リメイクされた『浮草』よりも、サイレントだった『浮草物語』のほうが好きだ。
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『浮草物語』のなかで、父・喜八と息子・信吉が川で釣りをするシーンがある。
ふたりは、竿を上流側に投げ、川の流れにそって糸を流し、そろって引き上げる。父と子が、同じ動作をなんども繰り返す。
ふだん離れている父と息子の親密な時間を、釣りのシーンで描いている。
小津安二郎は、1942(昭和17)年の『父ありき』でも、ふだん離れ離れに暮らしている父(笠智衆)と息子(佐野周二)が、いっしょに川で釣りをして、竿を上流側に投げ、川の流れにそって糸を流し、引き上げる、というシーンを撮っている。
そしてロバート・レッドフォード監督『リバー・ランズ・スルー・イット』(1992年。主演:クレイグ・シェイファー、ブラッド・ピット)でも、離れ離れになった父と兄弟が、川で釣りをするシーンで、小津の構図と似ている映像が出てくる。
小津映画のオマージュなのか、ただの偶然なのか、どうなのだろう?
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「浮草物語」
「父ありき」
「リバー・ランズ・スルー・イット」