1週間前に散歩した川越水上公園。
4月24日(土)、晴れ。
娘夫婦と双子(7歳)が夕飯を食べにきた。外で食べる予定だったが、外食はいま制約が多いので、家へきてもらうことにした。
家にあったうどんと買ってきた餃子などで夕飯をすまし、ひとしきり経ってから、
娘が、「ユー・ミー(双子[Yuka&Mimi]をわたしの娘はこうまとめて呼ぶ)、きょうはBaBaの家へ泊まる?」
双子のどちらかが、「いいよ」といってから、
「やったあ。YouTube見放題だ」と大声でいったので、みんな笑った。
娘の家では、YouTubeを見る時間は、制限があった。しかし、ジジババのところへくると、あまりうるさくいわれない。泊まりたがるのは、そういう動機だった。
娘夫婦と、妻用にレンタルしてあったDVDで、河瀬直美監督の『朝が来る』を見る。
わたしはすでに映画館で見ていたので、適当に娘たちといっしょに見ていたが、まもなく作品のなかに惹きこまれた。
娘たちは、1/4くらいのところまで見て、「あとは借りてって見る」といってDVDをもって帰った。
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翌日(4月25日)午前中、娘たちが迎えにきたとき、「神経衰弱」(トランプのゲーム)が得意のMimiが、最初妻を負かし、そのあとわたしも負かしたので、いちばんに母(娘)にそれを報告していた。
昼ごろ、長男が、歩くがまだしゃべらない子供(1歳半)を連れてやってきた。ひさしぶりだ。奥方は、病院勤務で仕事。
ありあわせのものでお昼を食べて、娘たち家族は帰り、長男と孫は、隣りの部屋で昼寝にはいった。
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やっと静かになったので、ソファへ寝ころんで読みかけの矢島裕紀彦著『心を癒す 漱石の手紙』の終盤を読む。
漱石が、友人(正岡子規)、鏡子夫人、中学・高等学校・大学の教え子たちへ書き送った手紙の抜粋。
漱石には、弟子たちに接する面(明)と、家族にみせる面(暗)とふたつあった。弟子たちが書き残した漱石の思い出は、やさしくてあったかい漱石先生が回想される。
しかし、、、
鏡子夫人の『漱石の思い出』や夏目伸六氏(次男)の『父・夏目漱石』のなかには、弟子たちには見せたことのない厳しい家長・漱石の闇の面が綴られている。
手紙のなかの漱石は、やさしい。
強迫性障害(ロンドン留学のころから、誰かから追われているような脅迫観念に苦しんでいる)で、病気が発症すると家族を怖がらせたという漱石は、手紙のなかにはいない。
漱石の書簡は、むかしからもうひとつの漱石の代表作といわれるくらいユーモラスであったかくてたのしい。候文(そうろうぶん)のなかに突然口語体がまじったり、べらんめえの口調がはいったりして、おもわず笑ってしまう。
わたしはなんでも読み散らかしで、部屋の整頓が下手なように、読んだものを頭のなかで整理するのが苦手。だから、この本のように漱石の手紙をテーマごとに、年代ごとに整理して並べてもらえるととてもわかりやすい。頭にすっきりはいってくる。
どれか引用して、漱石のもつあたたかさを現物で味わってもらいたいとおもったけど、どれもけっこう長文なので、いまはその気力なし。また別の機会に。
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夕方、長男たち帰る。
午後8時過ぎ、ネットで、北海道、長野、広島の選挙の経過を追う。北海道と長野の結果はすぐ出た。野党の不戦勝と勝利。
先が読めなかったのが、広島の結果。しかし、ここも野党(共闘とはいえない)の応援していた宮口はる子氏の当確が出た。
まずは3勝によろこんだが、投票率の低さ(どれも30%台)にがっかりする。