7月16日(土)。
川越駅で妻と待ち合わせ、「川越スカラ座」へ、中村裕監督のドキュメンタリー映画『瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと』を見にいく。
「川越スカラ座」は駐車場がないので、川越市役所へ駐める(ここは日曜祭日は、有料駐車場になる。特別安くもないが)。
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2021年11月に99歳で没した作家で尼僧の瀬戸内寂聴のドキュメンタリー。
大正・昭和・平成・令和と4つの時代を生きた瀬戸内寂聴は、駆け落ち、不倫、三角関係など自らの体験を私小説のかたちで発表し、世間からバッシングを受けながらも、作家としての不動の地位を確立した。
51歳で出家してからは僧侶と作家の2つの顔を持ち、2020年1月まで毎月一回行っていた法話には全国から人が訪れるなど晩年まで大きな人気を集めた。
女性であるということを忘れずに人生を楽しむ彼女の生きざまを通して、不寛容な空気が充満する現代社会において人間の生命力とは何か、いかに生き、老いていけばよいかというヒントを探る。
(「映画.com」から。読みやすさを配慮して、わたしが改行しています)
https://eiga.com/movie/96677/
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「瀬戸内寂聴は、駆け落ち、不倫、三角関係など自らの体験を私小説のかたちで発表し」と紹介文にあるけれど、この自伝的な小説の代表が『夏の終り』(瀬戸内晴美時代の作品)。
こしらえものとは違う私小説の凄みが伝わってくる。
この小説は、しばらくわたしの頭から離れられなくなり、誰か人とあえば(本に興味があるひとだけど)、この本を話題にした。
時間が経って、細かな内容を忘れても、読んだときの感銘はいまでも強く残っている。
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わたしは瀬戸内寂聴という名前から、この小説以外に、もうひとつ忘れられない記憶がある。
そっちは小説ではないけれど、2015年「戦争法案」に反対して、若者からわたしたち団塊の世代までが国会前に集まって抗議したとき。
瀬戸内寂聴さんは体調があまりよくなく、それでも車椅子でやってきて、集まったひとの前で、「法案反対」の声明を語った。
その姿を映像で見て、わたしは感動した。
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中村裕監督は、17年前に寂聴さんと知り合い、晩年もっとも親しい交流を重ねた「異性」となる。
寂聴さんは、生きることにけっして器用でない中村裕監督を信頼し、コロナの流行で会えなくなると、電話でさびしさを訴えた。
性愛の介在しない、ずっと歳下の中村裕さんに、気弱になったときは弱音をはくこともあった。
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月1回おこなわれた法話に、たくさんのひとが集まるのは、ありきたりな仏教法話でなく、本音をもとにしているからだろう。
こんなのがあった。
「81歳のお姑さんがいやでしかたがない、どうしたらいいか」という女性の質問。
寂聴さんはこう答えた。「もうちょっとのあいだ我慢してね、あちらは先に死んじゃうんだから」
爆笑が起こる。
しかし、聴衆も、映画を見ているわたしも、ちっとも不謹慎だという気がしない。どうしてだろう? 若者が年寄りを誹謗しているわけではない。少なくも寂聴さんは、そのお姑さんより年寄りだ(笑)。
そういう破戒僧のような答えが次々出てきて、聴衆を爆笑させながら、しかし、なにかあったかい感動を与えてくれる。ほんとうに涙ぐみたくなるときもある(わたしは映像でしか法話は聴いたことがないが)。ふしぎなひとだ。
日常も、自由だ。肉は好んで食べるし、お酒も飲む。これでは出家の意味がないではないか、と映画を見ながらおもっていたら、寂聴さんが答えてくれた。
「わたしは戒律をみんな破ってる。でもね、51歳で出家してからセックスはしていない」
愛の煩悩に苦しめられた寂聴さんだから、それでいて、出家してからも「愛のない安定した生活なんてつまらない」というひとだから、歯止めになるものが必要で、それが出家だったのかな?
しかし、それはわたしが考えたこと。
たとえ彼女が破戒僧でも、悩み・苦しみを訴えるひとへの、あのあったかさはなんだろう。
抹香臭くないのに、寂聴さんの言葉には、仏様のような包容(=抱擁)がある。
映画は、99歳で亡くなるまでの、瀬戸内寂聴さんの日常が淡々と描かれる。
寂聴さんは、よく食べて飲んで笑う。
わたしは無宗教の人間だけど、映像を見ながら「生き仏」というような言葉が、意味もよくわからないまま頭に浮かんだ。
地獄のような前半生を描いた『夏の終り』をもう一度読んでみたい。
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亡くなられたときのニュース放送(NEWS23)。3分39秒。
www.youtube.com