かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

DRIVE MY CAR(「聖天宮」〜「新しき村」)。


坂戸の聖天宮



新しき村」の入口(2019年訪問したときの写真)。





Tさんから事前に「12月の4日に、坂戸の聖天宮(しょうてんぐう)を見にいくから、よければ、そのあと川越あたりで会わないか?」という電話があったので、「聖天宮も一緒に行くよ」と返事する。




12月4日、㈰。晴れ。
妻が駅の近くにクルマをとめ、わたしが川越駅へTさんを迎えにいく。聖天宮へ向かう。


途中「若葉駅」の近くで「そばや」へ寄る。Tさんはお酒を一滴も飲まないので、わたしはひとり生ビールを1杯だけ飲む。


Tさんが、「川本三郎の本を読んでいたら、聖天宮のことが出ていたので、シンちゃんの家の近くだし、見にいこうとおもった」という。


Tさんが妻と会うのは久しぶり。空白期間の話をし出すとキリがない。店も混んでいるので、話はあとでするとして「聖天宮」へ向かう。


聖天宮」のド派手さは、やっぱりおどろき。






何度か来ているのに、建物を目の前にすると、周囲の景色を吹き飛ばすようなその異空間ぶりに、「おーっ!」とおもう。Tさんも、「すごいな! シンちゃん。写真で見たよりすごい」と写真を撮っていた。




妻が次はどこへ行こうか、といくつか提案すると、Tさんが「新しき村がいい、まだ行ったことがない」というので、ナビで「新しき村」をセットして向かう。


戦後「鶏卵」の事業で、自活した「新しき村」も、高齢化の波で村内で暮らす人たちも減り、鶏卵事業をやめていた。むかしはここへ来ると、卵や野菜を買って帰ったものだけれど。


村のなかを歩いていると、太陽光発電が並んでいた。これが村の主要な収入源だろうか?


Tさんがよろこんだのは「新しき村美術館」。


武者小路実篤の書画を中心に、村のゆかりのひとたちの作品が並んでいる。わたしたちは学生時代、白樺の人たちの本を読んでいたので、懐かしい人と出会ったような気がするのだろう。


わたしは、時々「村」へ寄っているので懐かしさの感慨はないけれど、武者小路実篤の書画を見ると、いつでもあたたかい気持ちになれる。


(次からの画像は、ネットから拝借)



「この道より 我を生かす道なし この道を歩く」


「桃栗三年 柿八年 達磨は九年 俺一生」


「君は君 我は我也 されど仲よき」


3枚目の画はむかしよく出回っていた。この「画賛」と共に、野菜がふたつ並べて描かれていた(絵によってふたつの野菜がちがう)。


武者小路実篤志賀直哉は、作風はまったく違う。武者小路は、描写などは頓着せず、自由自在に自分の心のうちを描く。志賀直哉は、骨太な文章でしっかりと現実を描写する。


しかし、彼らはまさに「君は君 我は我也 されど仲よき」を実際に体現したような、十代から八十代までの長い友情をまっとうした。


ふたりの最晩年の話。


武者小路実篤(85歳)が病院で寝ている志賀直哉(87歳)に何かを贈りたいというと、志賀は、「武者の色紙がいい」といった。


武者小路は色紙を送った。

直哉兄
この世に生きて君とあい
君と一緒に仕事した
君も僕も独立人
自分の書きたいことを書いて来た
何年たつても君は君僕は僕
よき友達持って正直にものを言う
実にたのしい二人は友達


昭和四十五年十一月十五日
            実篤


子供が書いたような無邪気な文面。85歳の武者小路が87歳の志賀直哉に贈った友情の色紙がほのぼのした気分にさせる。


志賀直哉は、約1年後の昭和46年(1971年)の10月21日に亡くなっている。



新しき村」から、「高麗神社」へクルマを走らせ、ファミレスで2時間ほど雑談。八高線で八王子へ帰るTさんを高麗川駅へ送る。