静かな感動を誘う、傑作2本立てでした
この1週間体調がよくなかったので、静かにしていましたけど、3月4日、少し元気だったので、飯田橋のギンレイ・ホールへいってみました。ここはいつも平日行くことがおおいのですが、土曜日だったためか、途中から通路に、座布団を敷いてみている人も出るくらい満員になりました。見た映画は、次の2本です。
フィリップ・リオレ監督「灯台守の恋」
フランスの”世界の果て”といわれるブルターニュ地方のウエッサン島のジュマン灯台。カミーユは灯台守だった父、そして母が過ごした家を売却するために帰省したが、両親の秘密が隠された一冊の本を発見する……。神秘的な映像の中に描く大人のラブ・ストーリー!!
<「ギンレイ通信 Vol.86」より>
いい映画ですからね、じっくり見てください、そういいたくなります。メインになる登場人物は、灯台守の夫婦と、この島を訪れてくる青年の3人ですが、この3人の心の動きを追う、こまやかな描写が、この映画の魅力を決定しています。
無愛想な夫と、無口だが気のきくその妻のふたりのもとへ、青年は寄宿しながら、灯台守の仕事を、見習いとしてはじめます。一緒に宿直して、灯台守の仕事を指導する相手は、その夫です。しかし、その男は、よそ者が気にいらないのか、ろくに返事もしません。
【写真】:静かでありながら、おさえがたい恋情を秘めた女性を好演したサンドリーヌ・ボネール
謙虚で美しい青年と、灯台守の妻のあいだに心が通いはじめます。静かに、徐々に、しかし、内面からおさえがたい熱情が吹きあげていきます。映画は、静かに二人の心の動きを、目線や小さな顔の表情の動きで描いています。ぼくにとって、映画がもっとも魅惑的に感じられる瞬間のひとつです。
最初口もきかなかった夫との友情が育っていくにつれ、その妻への恋情がおさえがたいものになっていく。祭りの夜に、青年と妻は結ばれますが、それはもう青年がこの島にはいられない、ことを意味します。
ストーリーはシンプルです。友情と横恋慕の話です。しかし、メイン俳優の感情をおさえた演技、監督のツボを押さえた演出。傑作です。
1964年に公開された映画「ポップ・ギア」
もし、不意にここへ訪れたあなたさまが、1964年のむかし、ビートルズやイギリスからやってきたビート・グループが好きな方だったら、映画「ポップ・ギア」のことは、ご存知ですよね。
でしたら、黙ってこちらのringoさんのブログ「リンゴ日記」をチェックしてみてください。ぼくらが、ビートルズを、アニマルズを、スペンサー・デイビス・グループを、そして初期のアイドル・グループだったハーマンズ・ハーミッツをはじめて見た日が蘇るはずです。
わたしはイギリスのビート・グループというような表現を使いましたけど、当時は一括して「リバプール・サウンド」という呼び方をしていました。懐かしいでしょ(笑)。しかし、ビートルズやピーター&ゴードンは、リバプールのグループですが、アニマルズやスペンサー・デイビス・グループはリバプールのグループではありませんでした。この映画には登場しませんが、もちろんローリング・ストーンズもデイブ・クラーク・ファイブもリバプール出身ではありません。
しかし、「それがどうした、おまえ!(笑)」、というほど高らかに、映画のパンフレットは「イギリス<リバプール・サウンド>が総出演」とうたっています。「リバプール・サウンド」は、当時ブリティッシュ・グループの代名詞そのものでした。ぼくら少年少女は、リバプールがイギリスのどこにあるかも知らなかったですしね。
映画の中で、ビートルズは特別出演です。これは、どこか別の会場でおこなったライヴ映像を映画のために使用したもので、新たな映像を期待していたぼくには、ちょっとがっかりでした。このライヴ映像は、中篇映画「これがビートルズだ!」にもすでに使用済みのものでしたから。
ビートルズ研究者は、容易にこのライヴ映像の年月日、会場名を特定できるとおもいますが、わかりましたら、ぜひコメント欄などで教えてください。ちなみに、映画のビートルズは、「ツイスト&シャウト」と「シー・ラヴズ・ユー」を演奏していた、とおもいます。
ピーター&ゴードンは、レノン=マッカートニー作品「愛なき世界」で大ヒットを飛ばしました。この映画の中でも、注目のスターです。ロックにアレンジされた強烈な「朝日のあたる家」をヒットさせたアニマルズも、この映画のハイライトですね。エリック・バードンの個性的な顔をはじめて見たのも「ポップ・ギア」でした。
その後ソロになってから、ぼくが好きになるスティーヴ・ウィンウッドの在籍したのがスペンサー・デイビス・グループ。しかし、ぼくは当時このスペンサー・デイビス・グループがまったく記憶にありませんでした。ですので、その後ビデオで再び「ポップ・ギア」を見るまで、スティーヴ・ウィンウッドを、すでにこの映画で見ていたことに、まったく気づいておりませんでした。
ピーター&ゴードンがビートルズの弟分とすれば、ビリー・J・クレイマー&ザ・ダコタスもそうでしょう。彼らは、レノン=マッカートニー作品の「バッド・トゥ・ミー」や「フロム・ア・ウィンドウ」などをプレゼントされています。ジョージ・ハリスンがビートルズではボーカルをとっている「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」も、そもそもは、ビートルズが彼らへプレゼントしたものでした。
しかし、その後ちっとも名前を聞くこともないグループもたくさん登場します。こういう有名・無名をいっしょくたに、テレビではなくて、映画でやってしまうのが凄いですね。当時のイギリスがビートルズとそれに続くグループにどれだけ期待を寄せていたか、ということもわかるのですが、、、
どういうものか、そのなかにマット・モンローのようなおじさん歌手も登場します。当時イギリスのフランク・シナトラといわれた本格的シンガーです。マット・モンローは、そのころ「007シリーズ ロシアより愛をこめて」の中の主題歌が大ヒットしていました。そのために、映画のバランスをこわしても登場させたのでしょうが、違和感は凄いです(笑)。
ringoさんが数枚にわたってアップしてくださったパンフレットが、映画の内容を思い出させてくれますよ。「バック・トゥ・ザ・1964」です。
【注】:「リンゴ日記」へは、こちらから跳んでください。
ringoさん、ありがとうございました。
大杉栄と甘粕正彦の最期(「人間臨終図巻」より)
【写真】:大杉栄
■山田風太郎の描いた「甘粕事件」
山田風太郎の「人間臨終図巻」を読んでいますが、そのなかから、「甘粕事件」のことをピックアップします。以下は、「人間臨終図巻1」からの引用です。
大正十二年大震災後の九月十六日、無政府主義者大杉栄は、妻の伊藤野枝(いとう・のえ)とともに、大森の実弟大杉勇を震災見舞いにゆき、同家にあずけられていた末妹の子で七歳になる橘宗一を連れて、午後六時ごろ新宿甘木の自宅近くまで帰り、ある果物屋で果物を買っているとき、数名の憲兵に拘引された。
その隊長は、憲兵大尉甘粕正彦(あまかす・まさひこ)で、かねてから社会主義者を「国賊」としてダカツのごとく憎み、特に大胆不敵で戦闘的な大杉に眼をつけて殺意をいだいていたものであった。
二台の車に分乗させられて、麹町平河町の憲兵本部に連行された大杉は、一人だけ一室にいれられ、憲兵曹長森慶次郎に訊問されていた。
午後八時二十分ごろ、そこへ音もなくはいっていった甘粕大尉は、声もかけずにその背後から大杉ののどに右腕をまわして絞めつけた。大杉は両手をあげて苦しんだ。
甘粕は右ひざがしらを大杉の背にあてて、十分ばかり絞めつづけて、こときれた大杉をさらに麻縄で絞めてとどめをさした。ついで甘粕は別室に向い、伊藤野枝(いとう・のえ)、少年宗一も絞殺し、屍体は憲兵本部の古井戸に投げ込み、古煉瓦や石やごみで埋めた。
<「人間臨終図巻1」〜三十八歳で死んだ人々〜より>
以上のように、大杉栄は、甘粕憲兵大尉によって、妻(正式には大杉には、戸籍上の妻がいた)伊藤野枝、7歳の甥宗一とともに、虐殺されました。
■殺人者甘粕正彦のその後・・・
わたしが気になっていたのは、この殺人者甘粕正彦のその後でしたが、山田風太郎は、甘粕正彦の最期も書いています。
甘粕は、少年を含む3人を虐殺し、懲役10年の刑に処せられますが、なぜか2年10ヶ月で仮出所し、昭和2年にフランスへ渡ります。
その後日本が満州国を建てると、甘粕は「満映理事長」として、権勢をふるっていたようです。
【写真】:甘粕正彦
山田風太郎は、「彼は、満州へ渡る日本の文化人の眼には、満州における『文化』の帝王か魔王のような存在に見えた」と書いています。甘粕のような権力欲が旺盛な人間の活躍できる舞台は、戦前の日本にはあちこちにあったのですね。
しかし、昭和20年8月日本は戦争に敗れ、満州帝国も崩壊します。あとは、また「人間臨終図巻」を引用しましょう。少し長くなりますが、甘粕正彦の最期です。
八月十六日、彼(甘粕)は日本人全社員を満映会議室に集めて、
「私は軍人ですから本来なら日本刀で切腹すべきですが、御承知のような不忠不仁の者ですから、そういう死に方に値しないのです。……ほかの方法で死にます。長い間お世話になりました。心からお礼を申します」
と、挨拶した。
九日にソ連軍が侵入して以来、彼のそれまでの魔王的な印象は憑きものが落ちたように消えて、おだやかな、また沈鬱な相貌に変わっていた。
二十日の早朝、理事長室で、彼は隠し持っていた青酸カリをのんだ。
かねてから警戒していた映画監督の内田吐夢(うちだ・とむ)が、異様なうめき声を聞いて飛びこむと、甘粕はソファの前で、両肘を横に張るようにして前かがみになっていた。
内田は瓶の食塩と水を甘粕の口へ流しこみ、あおむけになった甘粕の身体に馬乗りになり、腹部から胸へ力まかせに撫でつづけて吐かせようとしたが、口からは泡が出るばかりであった。
が、上気したように赤らんでいた甘粕の顔が次第に蒼白になり、安らかになっていって彼の息は絶えた。
<「人間臨終図巻1」〜五十四歳で死んだ人々〜より>
7歳の少年をも絞殺した、殺人者の最期としては、いたっておだやかなものではないでしょうか。
マイク・バーカー監督「理想の女(ひと)」
まずは、映画の概要です。
【ストーリー・解説】
いい女は2種類しかいない。全てを知り尽くした女と何も知らない女。ニューヨーク社交界の華として知られる若いメグ・ウィンダミア(スカーレット・ヨハンソン)と夫ロバート(トム・ウィルキンソン)は、セレブが集う南イタリアの避暑地アマルフィにバカンスに訪れた。
そこでメグは魅惑的なアメリカ人女性アイリーン(ヘレン・ハント)と出会う。周囲の中傷にも負けず、奔放な恋愛遍歴を重ねてきたアイリーンと、生涯を誓い合ったひとりの夫に純粋な愛を捧ぐメグ。
やがて、社交界で囁かれるアイリーンと夫の密会の噂。傷つき混乱するメグ。だが、メグは知る由もなかった。このスキャンダルの陰に自分自身の出生にまつわる秘密が隠されていたことを…。
じっくり人と人とを描いた、いい作品でした。メグ・ウィンダミアを演じるスカーレット・ヨハンソンは、心の複雑なニュアンスを表現できるいい女優ですね。さらに、この映画には役柄として重要なポイントである清楚な美しさが、画面にあふれておりました。
【写真】:ヘレン・ハント(左側)は、対極にいるもう一人の理想の女(ひと)
スカーレット・ヨハンソンは、「真珠の耳飾りの少女」、「ロスト・イン・トランスレーション」と、どちらも違う役柄をこなしていますが、彼女の魅力がよく出ている作品としては「ロスト・イン・トランスレーション」と、本作かもしれません。「真珠の耳飾の少女」はちょっと暗すぎました。SF映画「アイランド」は、出演しなかった方がよかった映画です(笑)。
そしてメグ・ウィンダミアとは対極にいる、男を知り尽くしたアメリカ女性を演じるヘレン・ハントが、またすごい。最初、ハスッパで鼻持ちならない女が、ストーリーがすすんでいくにつれて、なんとも聡明で、美しく輝いてくるのです。そこが、この作品のもう1つのみどころ。