かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

「陸軍」と「西部戦線異常なし」

昨日、神保町の三省堂へいったら、1930年のアメリカ映画「西部戦線異常なし」(ルイス・マイルストーン監督)のDVDが450円で売っていたので、買ってきました。むかし見て、とても強い感動を受けた記憶があります。


それで今日、最初の部分しか見ていなかった木下恵介監督の「陸軍」と、この「西部戦線異常なし」を、連続して見てみました。アクションねらいではない戦争映画としては、共通するものもあるはずだとおもいながら……。

しかし、「陸軍」は三流・四流の映画でした。戦時下だから仕方がない、ということなんでしょうが、それにしても、もし制作者に国の文化や芸術を背負わなければならない責任意識があるのなら、こういうものはつくるべきでなかった、とおもう作品でした。この映画では、誠実で一徹な役柄を得意とする笠智衆が、どうにもならないバカな頑固オヤジにしか見えませんでした。

西部戦線異常なし」でも(こちらは第一次世界大戦が舞台です)、主人公の父や学校の教師は、やはり国家の存亡を憂い、若者を戦地に駆り立てます。そのへんの背景は2つの映画がよく似ています。日本でも、教育熱心な教師ほど、教え子を積極的に戦場へ送ったといいますから(もっとも教育熱心だった信州が、少年の志願兵をたくさん出したと聞いています)、このへんは日本もドイツもたいして変わらなかったのかもしれません。

西部戦線異常なし」の若者たちは、父や教師や時代の雰囲気(これを形成するのが文化なのでしょうか)に激励されるようにして、戦地へ赴きます。しかし、晴れがましい使命を抱いて出兵した若者たちが見た「戦争の実態」は、思い描いた美徳などどこにもなく、ドロと血にまみれて殺戮を応酬する、この世の地獄でしかありませんでした。

反戦」ではなく「厭戦」を、この映画は、大きな声をあげることなく、静かに事実を積み重ねるようにして描いていきます。何度見ても、すばらしい作品です。

竹内浩三の次の詩を読むと【注1*1、浩三もきっと映画「西部戦線異常なし」を見ていたのだな、と思います。

ぼくがいくさに征ったなら
一体ぼくはなにをするだろう てがらたてるかな

    (略)

なんにもできず
蝶をとったり 子供とあそんだり
うっかりしていて戦死するかしら      

映画「西部戦線異常なし」をまだ見ていないひとは、この詩との関連がわからないかもしれませんが、それはご自身で見るまで内緒にしておきましょうね。

わたしは、「西部戦線異常なし」の主人公が、ときどき竹内浩三とダブってしかたありませんでした。

*1:竹内浩三「ぼくもいくさに征くのだけれど」より。