かぶとむし日記

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夏目漱石の小説『坊ちゃん』とマドンナの関係。


映画『坊ちゃん』(1953年版)のマドンナ(岡田茉莉子)と坊ちゃん(池部良)。小説のなかには、マドンナと坊ちゃんがこんなふうに寄り添う場面はなかったはずだけれど。





「坊ちゃん」の小説には紅一点、マドンナと呼ばれる女性が登場しますが、映画やドラマ化されたものと違って、小説にはちらっとしか登場しませんね。しかも主人公の<坊ちゃん>が遠目にみかけるだけで、セリフもありません。


それでも憧れの女性をマドンナという呼び方をするようになったのは、この小説「坊ちゃん」が始まりなのでしょうか。もしそうなら寅さん映画で、寅さんの憧れる女性をマドンナというのも、漱石が書いた「坊ちゃん」からの流れかもしれませんね。


ところで小説のマドンナは、<赤シャツ>(あだな)の裏工作により婚約者の<うらなり>(あだな)と別れるという設定になっています。うらなりも小説でみる限り、はつきりしない、魅力に乏しい男なのでしかたありませんが、だからといって赤シャツにとられちゃうのは残念です(笑)。赤シャツには、時々お泊まりのデートをする、芸者さんが他にいるのですから。


しかし、小説が終わった時点では、うらなりは辺鄙な学校へ転勤となりますので、このままいくと、赤シャツはマドンナをお嫁さんにしそうですね。坊ちゃんは義憤を感じ、生たまごを赤シャツにぶつけて一時的な痛快を味わいますが、赤シャツの策略からマドンナを救出することにはなりません。赤シャツからすれば、めざわりな山嵐と坊ちゃんを学校から追放できるわけですし、計画通りマドンナは掌中に入るわ、で、万事彼の思うツボなわけです。


もっとも、マドンナ自身が、影の薄そうな田舎教師のうらなりより、英国帰りで東京帝国大学出身の赤シャツを選択したのなら、坊ちゃんがどう赤シャツを憤っても、もともと、そういう趣味の令嬢ですから、いたしかたありません。小説「坊ちゃん」は、マドンナの心のなかをなにも描いていないのです。