かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

成瀬巳喜男「夫婦」(1953年)


パナソニックのDVDプレイヤーを購入したおかげで、ringoさんから、DVD-RAMに録画してある成瀬巳喜男作品他、をたくさん送っていただきました。これから、休日の時間を見ながら、1つ1つ見せていただこうとおもっています。まさに、宝の山へ踏み入るようなわくわくした心持ちでございます。まずはその第一弾が成瀬巳喜男監督「夫婦


【注】:先に、ringoさんが作品の内容を、こちらでご紹介してくださっております。


タイトルが「夫婦」とは、実に愛想のないものですね(笑)。描かれているのは、なるほどタイトル通り「夫婦」の問題です。これは2年前に撮った林芙美子原作「めし」がヒット。「夫婦」は、明らかにその柳の下をねらった、二匹目のドジョウのようです。もちろん、続編的なものをつくったのは、会社の要請で、成瀬自身とは思えません。こちらは、原作はなく、井手俊郎田中澄江コンビによるオリジナル脚本。

主人公の夫(上原謙)は、家に帰ると新聞を睨んでばかりいて、ろくに妻へ話かけようともしません。これは、「めし」の性格をそのまま引き継いでいます。今回原節子の代役で妻役を演じるのは、青い山脈の女生徒役でデビューした杉葉子。現代的なこの役のイメージが強いせいか、着物をはおった妻役の杉葉子に、ムリに老け役を押し付けたような違和感が最初ありましたが、見ているうちに、それほどおもわなくなりました。

「めし」は原作ものにはよくある、ストーリー性の希薄なものでした。しかし、それはかえって制約が少なく、細部に自由な工夫をこらせるため、成瀬巳喜男の才能に向いていたのではないか、とおもわれます。家出をしてきた姪が、夫婦の仲に小さな波風をたてますが、それが直接の原因といえるわけでもなく、夫婦の間には冷えた関係がすでにあり、話らしい話としては、妻が実家へ帰ってしまう、という動きがあるだけでした。二人の心がどのように微妙に揺れ動くか、そこだけをていねいに成瀬巳喜男は描いておりました。

しかし、オリジナル脚本となると、最初からもっと映画的なストーリーが用意されています。上原謙杉葉子は、住む家がなく困っていて、妻を亡くしたばかりの上原謙の同僚(三国連太郎)の家に同居します。予想通り、美しい妻へ、同僚が好意を寄せていることが明らかになります。「めし」では、あいまいだった嫉妬心(今回嫉妬するのは夫の側)が、上原謙を不機嫌にさせます。つまり、「めし」の不機嫌よりは、原因がハッキリ示されています。

さらに、妻の妊娠という、夫婦のあいだに新しい展開が起こり、経済難のなかで(主に住宅問題)、その子供をどうするか、という、より具体的な、解決しなければならない問題が発生し、夫婦が選択を迫られることになります。

こうしたオリジナル脚本の明確さが、逆に、成瀬巳喜男演出の幅をせばめてしまったのでは、というのがぼくの作品を見た感想です。シナリオに問題があるというよりは、成瀬巳喜男という表現者の特質がこんなところにもあらわれているのでは、と、ぼくは興味深く見ました。

しかし、「めし」にない魅力もありました。「めし」の原節子はほとんど暗い表情で終始していましたが、「夫婦」では、夫以外の男性に好意を寄せられたことで、妻の表情に、華やいだ笑顔がしばしば浮かびます。恋愛時代に、おそらく夫が魅力を感じていた、妻のはつらつとした美しさが、いまは他の男性によって引き起こされている、それが夫を苛立たせます。妻と同僚のあいだに愛があろうとなかろうと、他の男性によって、妻が華やぐことは、夫には苦々しいことでしかない、そこを成瀬巳喜男が正確に描いております。これは「めし」では描いていない妻の姿だとおもいました。

ringoさんやtougyouさんがおっしゃっていましたが、やはり杉葉子ではなく、原節子で見たかった、という気持ちはぼくもしました。ただ、夫以外の男性から好意をもたれたことで、思わず華やいでしまう妻の、一種のはすっぱさは、若い杉葉子に、あっていたのでは。代役を、原節子の同世代ではなく、あえて老け役で杉葉子を抜擢した成果がひかる瞬間です。偶然の代役問題も、ただではおかない、成瀬巳喜男の鋭い才能のきらめきを感じるのですが……。