かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

伊藤たかみ「八月の路上に捨てる」


町の本屋さんを見ていたら、『文藝春秋9月号』が芥川賞を発表していたので、買って読んでみました。むかしは、読書といえば大半が小説でしたが、最近は小説を読む割合が減りました。以前芥川賞の受賞発表と同時に読んだのは、話題になった最年少の女性作家二人が同時受賞したときですから、随分久しぶりです。



■「八月の路上に捨てる」の梗概

敦(あつし)は、水城さんという女性が運転するトラックの助手をしている。一緒に、自動販売機の清涼飲料水の補充をしていくのが仕事だ。水城さんはその会社の社員で、敦はアルバイト。敦は、映画の脚本家をめざしているが、なかなかものにならず、最近は少しあきらめかけている。

水城さんは、男のようにみごとなハンドル捌きで、2屯トラックで狭い路地へはいっていく。敦は、時々だが、水城さんに、ほのかに女性的な魅力を感じてもいる。

水城さんは、敦の離婚について、話題を向ける。トラックで自販機を回りながら、飲料水を補充し、時間ができると、敦の離婚の話に関心を示す。

小説の現在形は、この水城さんと敦(あつし)のやりとりで進行していく。

小説の過去形は、敦と知恵子の出会い、結婚生活、破綻から離婚までの経過が、敦の口から語られていく。

脚本家志望の敦と、編集者を志望する知恵子の出会い。敦の脚本はなかなか目が出ない。彼はフリーターとしてアルバイトを続けていく。一方、学校を卒業して、まもなく知恵子は希望の雑誌編集者になって忙しくても楽しそうな生活をしているが、まもなく人間関係が原因で仕事をやめてしまう。

二人は籍をいれて暮しはじめるが、フリーターで忙しく明け暮れる敦と、自宅にこもった知恵子のなかに、小さな衝突がおこっていく。それが、次第に修復しがたいほどにこわれていく……。


■読み終えて……

とても地味な話で、むずかしいことは何もなく、具体的な描写の積み重ねです。描写はとても鮮明で、ぼくはうまいとおもいました。

子供のひとりいる水城さんは、給料が高いので、デスクワークをやめて2屯トラックに乗っていますが、今日がトラックに乗る最後で、明日からは総務へ配属されることになる、と敦に説明しています。しかし、実は再婚するためにトラックを降りるのだ、と敦にも最後はわかります。

アルバイトをつづけて生きてきた敦は、脚本家への夢をあきらめかけていますが、それをあきらめて、これからはどのように生きていくのだろう、と思いますが、そのことは何も書かれておりません。

知恵子は、何か繊細で、仕事では人間関係でうまくいかず、敦との結婚生活もこわれてしまいました。他に好きなひとができたわけでもなく、これから一人でどのように生きていくのか、それも暗示されていません。

ただ、人生の断面を抉りとるように、敦(あつし)と水城(みずき)さんと知恵子の「今」が描かれています。


難しい観念に押しつぶされそうな小説ではなく、的確な描写で描かれた、ある夏の日の「人生の断面」という意味でおもしろく読みましたが、これが芥川賞作品として、今どのような位置にいるのか、ぼくにはわかりませんでした。

つまり、唐突ですが、以前こちらでご紹介したような西村賢太著「どうで死ぬ身の一踊り」のような強烈なインパクトを感じることができませんでした。