かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

芝木好子「堀切橋」を読む

浅草から東武電車で行き、小さな堀切駅に降りたのは佐保子と夫の玲二だけであった。駅を出ると目の前に大きな荒川が横たわり、まわりには商店一つないさびしいところで、すぐ前に木橋があった。秋雨のしめりの残る曇り日であった。


先日小津安二郎監督『東京物語』の舞台、長男(山村総)の平山医院がある場所として、堀切や堀切橋を散歩しましたが、その堀切橋がこれほど刻銘に小説に描かれているのはおどろきでした。この小説には、佐保子、玲二、高浜という3人の主要な人物がでてきますが、それ以上に重要なのは新旧の堀切橋のようです。


小説「堀切橋」は、こんな話です、、、

玲二は痩せて背の高い男で、先に立って長い木橋へと歩いていった。こんなに広い川を佐保子は間近に見たことがなかった。川幅は二百米もあろうか、向う岸がはるかに見える。川岸には葦が生え、川の流れは早い。堀切橋は古びて、板は摩滅していたし、欄干は低くて、風が立つと身体が飛ばされそうに遮るものがない。玲二は彼女をかばうでもなく、一、二歩先を歩いている。


秋の曇り日のなかを、若い夫婦がアルバイト先の面接のために堀切橋を渡っていく。川の向うには堀切の町があり、土手の下に民家が密集している。その民家のなかの診療所で、夫の玲二は働こうとしている。彼は若い医師だったが、病院に勤めるだけでは生活がなりたたなかった。

木橋を歩くと橋板はがたつき、真中の車道にトラックが通ると、揺れる心地がした。車は橋を渡ると駅のわきの線路を越えて走り去ってゆく。


「壊れそうな橋ね」


佐保子が言うと、振返った玲二は上手を指差した。上流に長い鉄橋がかかっていて、新しい橋は近く開通するのであった。


「じゃあ、この木橋はどうなって」


「毀すのだろう。こんなぼろ橋」


いうまでもなく、この新しい鉄橋がいまわたしたちが見ている堀切橋である。


診療所での面接が終わると、二人はまた古い木橋の堀切橋を戻る。

帰りはまた土手を登って、堀切橋へ出た。夕暮で長い木橋はくすんだ色に染められ、川の眺めはつめたかった。玲二は彼女にどうだったかとも、疲れたかとも聞かなかった。黙って一歩先を歩いてゆく。


佐保子と玲二は、結婚して2年だった。


その日から、夫は堀切橋をわたって荒川の向うの診療所へ通うが、ある日睡眠薬を多量に飲んで、荒川の葦のなかに死体で発見される。遺書はなかった。佐保子には、夫の自殺の原因がわからない。


夫の死から14年が過ぎる……。佐保子は、1度も堀切橋へ近づかなかった。


佐保子は、厚意をもちはじめた仕事先の高浜に、堀切橋と、自殺した夫の想い出を語る。


高浜は、端からは贅沢な感傷に聞こえるなあ……記憶を楽しむのは悪くないが、今がからっぽな人間ほど、過去の記憶にしがみつく、と容赦がない。


「一ぺん今の橋を見てごらんなさい。記憶がまざまざとするかどうか」


佐保子は、この高浜と一緒に、14年ぶりの堀切橋を訪れる。


高速の高架が頭上を走り、車の往来の激しい鉄橋の堀切橋は、長い間「自殺した夫の風景」として彼女が抱きつづけてきた心の映像とはまるでちがっていた。そこには、夫を偲ばせる何もない。


佐保子は何か憑き物が落ちたように、高浜と一緒に、新しい堀切橋を歩いていく。



★芝木好子『奈良の里』(文藝春秋)に収録。