かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

溝口健二監督『女優須磨子の恋』(1947年/松竹)

女優・松井須磨子と、文学者で新劇運動の先駆者、そして妻帯者であった島村抱月の悲劇的な恋。当時の舞台劇の再現を豊富に盛り込みながら、自由恋愛に対する偏見や重圧に挑んだ須磨子の姿を重厚に描き出す。


(「新文芸座」パンフレットより)


イプセンの『人形の家』の女性主人公・ノラは、夫の愛玩物であるとを嫌い、ひとりの人間として自立を願い<家>を出る。イプセンが書いた『人形の家』は、近代劇のなかで、女性の解放と自立を描いた「事件」だった。


近代思想の先端にたつ島村抱月山村聡)は、この『人形の家』を舞台化したいとおもうが、いまの日本にはノラを演じられる女優がいない。ついいましがたまで、舞台の女を女形(おやま)が演じていた時代なのだ。しかし、この劇を女形が演じたのでは、意味がない。かといって、旧来の道徳にまみれた女優にノラは演じられない。


そんなとき、抱月は、「別れたくない」とすがりよる夫に、決然と別れを叩きつける松井須磨子田中絹代)を知る。須磨子は、抱月が所属する、「演劇研究所」の研究生だった。


抱月は、おもう。ノラを演じられるのは、須磨子よりない!


抱月の厳しい演出に須磨子は少しもひるまない。「先生、わたしをもっと鍛えてください」という。抱月と須磨子の命がけのような稽古が連日続く。


島村抱月演出、松井須磨子主演の『人形の家』は大ヒット。ノラを演じた松井須磨子は絶賛される。そのとき、抱月と須磨子のなかには、演出家と女優以上の強い感情が芽生えていた。


日本の思想界では最先端にいる島村抱月だが、彼は旧家の養子で、彼の妻も義理の母も、古い道徳のなかで生きていた。そんなさなか、抱月の須磨子とのうわさが大問題になる。


「演劇研究所」の中心的存在、坪内逍遥東野英治郎 )は、抱月の義母の依頼を受けて、抱月の説得にあたる。同時に、須磨子は「演劇研究所」をクビになった。


旧来の道徳のなかに生きるか、自分の心に正直に生きるか、島村抱月には、それは観念的な命題ではなく、自身に直結する問題だった。


抱月は、妻子と家をすてる。そのことは「演劇研究所」から追われることであり、坪内逍遥との訣別も意味している。


抱月と須磨子は、互いを欠かせない伴侶となった。抱月は「芸術座」を立ち上げる。が、つねに資金不足がつきまとい、地方を巡りあるいて資金の調達に奔走する日々が続く……。


◆   ◆   ◆


島村抱月の病死を悲しみ、日本最初の舞台女優・松井須磨子は、その2ヶ月後、自殺する。須磨子は、その時女優としての頂点にあったが、抱月の死の悲しみを乗り越えることができなかった。


溝口監督は、もともと近代女性の先駆け的なノラを描くよりも、時代から取り残された女性たちを描く方が芸風にふさわしい。映画の前半は、観念的なセリフが多くて、人物も類型を出ていない、と思った。


しかし、段々それを忘れる。観念的な硬いセリフが浮いてないのは、島村抱月を演じる山村聡が、抱月にきちんと魂を吹き込んでいるからだ、と思う。抱月を演じた山村聡がいい。


見ていてついつい連想してしまうのは、舞台と映画という違いはあっても、同じ演出家と女優であり、生涯の伴侶であった新藤兼人乙羽信子のこと。


独立してからの苦労まで、よく似ている。


しかし、須磨子は病死した抱月を追って自殺してしまったが、乙羽信子の最期を看取ったのは新藤兼人であり、その新藤兼人は95歳の現在も元気で映画の仕事をしている。こちらは悲劇でないのが、うれしい。


溝口健二、得意の作風ではないが、それを超えて力強い作品でした。