かぶとむし日記

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野上照代『天気待ち〜監督黒澤明とともに』


天気待ち 監督・黒澤明とともに (文春文庫)
先日読んだ『蜥蜴の尻っぽ』には、「これはもう『天気待ち』で書いたことなのではぶきますが」というところが何箇所もあって、順序としてはこっちを先に読まなければならなかったことに気づきました。


野上照代は、『羅生門』からあと、ずっと黒澤明の撮影現場にいたひとですから、エピソードは、そのときどきの撮影現場の空気が伝わってくるような、濃密な体験が聞けて、黒澤明ファンは必読の1冊ですね。ほんとうに、貴重な話がたくさん出てきます。


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野上照代は、まだ映画界となんの関係もないとき、伊丹万作に手紙を書き、返事をもらったので、それから文通がはじまった、と書いています。


伊丹万作は、当時監督としても脚本家としても一流中の一流だったひとですから、無名のひとにもマメに返事を書くところに、伊丹万作というひとの、人を分け隔てしない誠実な性格が出ているとおもいました。この点では、夏目漱石が同じくそうですね。


竹内浩三も、橋本忍も、伊丹万作に手紙を書き、ちゃんと返事をもらっているわけですから、野上照代だけが例外だったわけではありません。


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野上照代が、黒澤明が日本の巨匠といわれる監督をどうおもっていたか、について話しているので、長いですけど引用してみます。

野上:黒澤さんは確かにすごく溝口さんを尊敬していた。それと、もちろん小津さん。小津安二郎監督の場合は、サイレントを含めて、特に昔の作品が好きだったみたい。小津さんの後期作品になると、物語のおしまいで、娘が「お父さん、お世話になりました」みたいなキマリの場面で「やっぱり泣いちゃうんだよなあ」と言いながら、実は、いま一つ気にいっていなかった。画面が全部作られているから窮屈だったんじゃないかな、監督の感覚としては。


一番好きな日本の先輩監督は、やはり成瀬巳喜男さんでしたね。助監督についた経験があるし、親切にしてもらったそうです。『浮雲』(1955年)は、やっぱり好きでしたね。正月のシーンで、パッとお獅子のカットが入るところがあるでしょ。それを見て、「ああいうのだってうまいよなあ」「すごい技術だ」って言うわけ。考えてみれば、二人の撮り方はまったく逆なのにね。黒澤さんの場合は、編集の材料を撮るといって、とにかくガラガラとキャメラを廻すでしょ。成瀬さんの場合は、編集で切るところといったら、カットの頭のカチンコが入ってるところとおしまいの部分だけ(笑)、というくらいで、そのまま繋がるように撮ってるそうですよ。全然違う場所で撮ったカットが実にうまくちゃんと繋がっている。「ああいうのが僕にはできない」って言ってましたよ。自分にはできないという部分も含めて、一番尊敬もしてたんじゃあないかなあ。