1965年といえば、ぼくのビートルズ熱は最高潮に達していました。そんななかで『ラバー・ソウル』は、『HELP!』の次に発売されたアルバムでした。
はじめて聴いて、ビートルズの音作りが精密になったな、とはおもいましたが、それは前作『HELP!』でもそうですし、シングルでもアルバムでも、レコードを出すたびに進化するのはビートルズというグループの特徴で、『ラバー・ソウル』だけ、特別におどろくことはありませんでした。もっといえば、次のアルバム『リボルバー』を聴いたときのようなおどろきはありませんでした。
ringoさんが「ビートルズ探検隊」のコメントに、「初期の炸裂するようなロックンロールがなく、カッコいいけどおとなしくなったと当時感じました」と書いていますけど、ぼくはこれが、当時のファンの気持ちを正確に表現した感想だとおもいます。
それまではビートルズは、どのアルバムにも、必殺のロックンロールが1曲以上あったんです。説明不要ですよね。強いていえば、『ヤア!ヤア!ヤア!』にはなかったかな。
でも前々作『フォー・セール』には「ロックンロール・ミュージック」や「カンサス・シティ」があったし、前作『HELP!』には、「イエスタディ」の感傷性を口拭いするように、そのあとに必殺の「ディージィ・ミス・リージィ」がありました。
ところが『ラバー・ソウル』には、そのロックンロールの目玉がない。
このころ、世間では、非常に高飛車な態度で、ビートルズを認めてもいい、というひとが稀に出てきました。
「ビートルズの音楽には興味がないが、<イエスタディ>や<ミッシェル>くらいは認めてもいいね」という言い方です。
これが頭にきました(笑)。おまえなんかに認めてもらわなくてもいいよ、というくらい、まったく(笑)。
だからビートルズに、バラード・バンドにはなってほしくないとおもっていました。なるわけもない、とわかっていましたが。
<イエスタディ>と<ミッシェル>はそれからも、よく並べて表記されました。『ラバー・ソウル』のアルバムのなかでは、<ミッシェル>と<ガール>も、ビートルズの変化の見本として、並べて語られました。
たしか、日本公演の記者会見でも、「あなたがたは、最近<イエスタディ>や<ミッシェル>のようなバラードが中心になったが、何か変化があったのか」というような代表質問を受けていました(<ミッシェル>や<ガール>だったかな? ともかく意味合いは同じです)。
それに対しては、ジョージが「ぼくらは以前にもバラードをやっていたし、今もロックンロールをやっている。何も変わっていない」と明快でした。
そんなわずかな不安を与えるアルバムでもありましたが、それはほんのちょっとだけで、『ラバー・ソウル』は、曲の構成、演奏技術、とりわけ複雑なコーラスが素晴らしく、毎日聴きまくりました。
ビートルズが、グループとしてもっとも円熟していたのは、このアルバムかもしれない、とおもったりします。