かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

ベルナルド・ベルトルッチ監督『ラストタンゴ・イン・パリ』(1972年)


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アパートメント探しのさなか、若い女(マリア・シュナイダー)と中年の男(マーロン・ブランド)が、ある一室で、知り合う。


中年の男は、半ば強引に女に迫るが、女もそれに応える。二人は、互いの<性>に惹かれあうようになる。


男がいう。「おれたちは、お互いに名前をいわない。身の上のこともしゃべらない。ただここで逢い、セックスをする。ここだけがおれたちの世界だ」


女は、恋人がいるのに、吸い寄せられるように、そのアパートメントへ通わずにいられない。行くと、男が待っている。


しかし、そんな関係は長くは続かなかった。


女は、恋人から結婚の申し込みを受けたとき、密会をやめようと決意をする。別れを告げるために男と逢う。


そのとき、名前を名乗らなかった男が、一緒に暮そうという。女は、結婚するのだから別れて、という。男はなっとくしない。


女が逃げて、男が追う。恐怖を感じた女は、しつこく追ってくる男を銃で撃つ。


男の死体のそばで、女はいう。


「わたしはこのひとを知らない。名前も知らない。レイプされたので撃った。わたしはこのひとを知らない」


★★★


こんな恋愛に憧れたことがある(笑)。でも、実際の体験はなし(笑)。


吉行淳之介の小説「夕暮まで」も、中年の男は若い女との関係のなかで、恋愛感情をいれまいとする。からだだけの関係に、女性が恋愛感情を見せたとき、男は別れようとする。


あのころ、そんな<体だけの恋愛>が一種の流行だったのかな? 


この映画は、公開された当時「芸術家かワイセツか」ということで話題になったけど、いま見ると少なくもワイセツとは思わない。意外なほど、からむシーンも少ない。


では<芸術か>というと、ぼくにはそれほどにもおもえない。