かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

権藤普(聞き手)『つげ義春漫画術上下』(1993年)

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ぶ厚い本が2冊、携帯に不便で、気になりながら、つい読みそびれていましたが、今回勇気を出して持ち歩き(笑)、読破しました。読んでみれば一気に読めるおもしろい本でした。


なにしろ、あのつげ義春が自身の作品を、聞き手に導かれながら、全作そのときの背景や意図を説明しているわけですから、ファンは夢中でつげの発言を聞き入って(実際は、読むわけですけど)しまいます。


「李さん一家」が、世の中のおちこぼれたひとの連作を描くつもりでいたのに、ラストシーンが浮かんでしまったために(あのみごとなラストシーンです!)、おもわず一話で完結してしまった、などという話は今回はじめて知りました。最初の着想では、「李さん一家」は、「無能の人」の前身のような作品になったのかもしれません。



★李さん一家は、いつのまにか、<ぼく>が借りたボロ家の2階に住みついてしまう……



★★★


つげ義春は、私小説的な作品でも事実をそのまま書くことはほとんどない、という。リアリティを大切にするので、経験したことを作品のあちこちにちりばめてはいるが、それは別のときの体験であったり、頭のなかだけで浮かんだことを事実のように描いたりで、要するにテクニックであり、もし事実と誤解されたら、自分の職人としての技術がそう思わせているのだ、という。


現在書かないのは(1993年の話)、とりあえずお金に困らないからで(笑)、アイディアはどんどん浮かぶのですが、お金に困らないと、書く気になれませんね、と話す。


つげ義春は、小学校はとりあえず卒業したが、中学校へいっていない。小さな頃から、闇市で露天商の手伝いをしたり、鍍金工場で働いて家計を助けている。


漫画を描きはじめたのも、貸し本漫画が人気で、人と対面しなくても<お金がもらえた>というのが動機。漫画を描くことが、特別楽しかったわけではなかった。現在も、例えば<芸術のため>というような大義のために漫画を描く気にはなれない、らしい。


★★★


もう、約20年、つげ義春の新しい漫画作品の発表がありません。それでも、旧作が文庫になったり、全集が出たり、エッセイや旅本が出たり、作品が次々映画化されたり、食べるには困っていないようです。


だから新作を書く気になれない……というのは、さびしいことですが、それがいかにも<つげ義春的>、となっとくしてしまうのが、またファンの心情であります。


しかし、新作を読みたい!!