あれからもうすぐ7年です。早いなあ。「ビートルズ探検隊」のみなさんと突然の死を悲しんだのも、もう7年前なんですね。
ビートルズ時代からソロになっても、このひとの姿は、ぼくのなかで、つねに大きく存在していました。いつの時代も、そのときそのときに、ジョージの音楽の想い出があります。
静かで優しくて、皮肉屋だったひと(彼の音楽も、優しい中のどこかに毒がひそんでいる)。表に立つより、裏にひくのが好きだったひと。稀有な友情に恵まれたひと。ビートルズの最年少でありながら、結局頑固を貫いたひと。
最後の10年は、隠者のようにひきこもって、1987年の『クラウド・ナイン』以来、いつ新作が出るか出るかとファンをやきもきさせて、結局14年待たせて、生前、アルバムを出さなかった薄情なひと(笑)。
どんな友人よりも、長く深く私の心のなかにあります。
ジョージの残した映像は、あまり多くありませんが、そのなかで代表的なものと、ちょっと変わったものを選んでみました。
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○1971年「バングラデッシュのコンサート」より「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」。彼の呼びかけで、親しい友人が結集した。
○ジョージの歌う「ジョニー・B・グッド」。彼の周囲には、いつも彼を慕うミュージシャンが集まる。
○曲は「Gopala Krishna」。彼が信じた<神々>が、ぼくにはわからなかった。
○「マイ・スィート・ロード2000」。死の一年前に発表された。当初のポップス的な輪郭が壊れ、ギターの音色がシタールのような響きをもっている。このとき、ジョージはとても元気だった。1年後に亡くなるとは、想像もできない。
○「ホース・トゥ・ザ・ウォーター」。亡くなる2ヶ月前、すでに死を覚悟したジョージが遺した最後の作品。ギターの音色とフレーズがいいようもなく味わい深い。
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「ホース・トゥ・ザ・ウォーター」には、次のようなエピソードがある。この曲の録音のために来訪したジュールス・ホランドは、ジョージを見るなり、その衰えた姿にショックを受けた。寝床に伏せている姿は、とても録音どころではない重病人だ。
ジュールス・ホランドは、ひるんだ。ジョージの妻のオリビアに、小さな声で、「ムリなのでは」といった。すると、オリビアは、「ジョージはやるつもりでいます。やらせてあげてください」といった、という。
「ホース・トゥ・ザ・ウォーター」は、ジュールス・ホランドのアルバム『ジュールズと素晴らしき仲間たち』に収録されている。