かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

尾崎一雄「暢気眼鏡」(1933年)

暢気眼鏡・虫のいろいろ―他十三篇 (岩波文庫)
昭和8年12月に発表された短編小説。


「暢気眼鏡」は、芥川賞を受賞するが、それで尾崎一雄の生活苦が解消したわけではなかった。


その尾崎は、芥川賞をもらって、やや憤然とする。自分では小説を書かなくても、新人だという意識はなかった。書けないから書かない、それをじっと耐えている、貧乏でもすでに看板をかかげた<作家のはしくれだ>という気ぐらいはあった。それが、新人へ与える芥川賞を受賞するとは、なっとくいかない話ではないか、と。


小説「暢気眼鏡」の受賞エピソードには、そんな背景がある。



短編小説「暢気眼鏡」は、こんな話だ。


家賃は数ヶ月滞納、電気はとめられてしまう窮乏生活。小説は書けないし、ほかに収入のあてもない。妻が持参した着物など、売れるものはすべて売り払った。いまは、友人・知人を訪ね、返す見込みのないお金を借りては、1日1日をしのいでいる。


芳枝という若い奥さんをもらっても、彼女を食わしていくあてがない。苦労知らずの芳枝は、天真爛漫さを失わず、いつも少しピントのぼけた暢気なことをいっているが、この<暢気眼鏡>がいつはずれて、彼女を傷つけてしまうかと、主人公は思い屈せずにいられない。


窮乏を見かねた芳枝が、自分の歯の金冠を売って、お金をこしらえてきたとき、主人公の自己呵責は、頂点に達する。


小説は、次のように結ばれて終わる。

「芳兵衛、お前はほんとうに気の毒だ」
私はある時珍しく真顔でいった。
「あなたは本当にそう思う?」
「思う」
「それならいいのよ。あなたがそう思ってくれれば、あたしそれでいいの」と明けっぱなしの笑顔をした。
「こんな奴をいじめて・・・あアあ」と私は腹でうなった。「こんなことをして小説を書いたとて、それが一体何だ」そう思うと、反射的に「いや、俺はそうでなければいけないんだ」と突き上げるものがある。「暢気眼鏡」などというもの、かけていたのは芳枝でなくて、私自身だったかも知れない。確かにそう思える。しかもこいつは一生壊れそうでないのは始末が悪い。そこまで来て私はうすら笑いを浮べた。


【追記】尾崎一雄のことは、もう少しこだわってみたい。