かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

あの人に会いたい〜志賀直哉

「自分は見かけの悪い家だが、見かけのいい安普請の家よりいいとおもう」


この言葉は、志賀直哉の自分の小説への自己評価だ。「小説の神様」ともいわれた直哉だが、けしって器用な作家ではなかった。


康子(さだこ)夫人は、尾崎一雄に<尾崎さん、志賀は小説を書くとき、毎回たいへん苦しむんです。もう長いこと小説を書いているのにどうして楽に書けないんでしょうか>というようなことをいっている(言葉を正確には思い出せないが)。


後輩作家・尾崎一雄は、康子夫人の無邪気ともいえる心配に心を打たれる。


尾崎は、名作を次々に書いてきた志賀直哉でさえ、いまも一編一編作品を書くときに、苦しんでいる、それは志賀直哉が、あたらしい作品を書くときに、過去の技法をなぞろうとせず、いつもまっさらで原稿用紙に向かうからだ・・・だから、毎回、創造の苦しみを味わなければならない・・・貴重なエピソードを聞いた、とおもう。



志賀直哉が残した作品は、現在の流行作家の1年分くらいでしかない、と指摘していたのは、阿川弘之で、それもずいぶん前の話だが、実際に志賀直哉の正規の作品は極端にすくない。


さらに、長編小説といえば『暗夜行路』ひとつだけ。それも苦しみに苦しみぬいて、足かけ27年かけてやっと完成させている。完成させたのはすごいが、職業作家とはおもえない手こずりようである。


作品のテーマも、器用とはほど遠い。毎回新鮮なストーリーで、読者を驚かせる、という作家ではない。生涯に扱ったテーマは、いくつかの例外をのぞけば<自己及び自己の周囲>といってしまえなくもない。


小説の神様」とは、ほど遠い。


なのに、志賀の小説が読みたくなって、棚から本を探す。志賀が描く、風景、動物、子ども、夢・・・に会いたくなる。


志賀直哉に、会いたくなる。