かぶとむし日記

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天然妻に救われた私小説作家・尾崎一雄デビューのころ(尾崎一雄著『あの日この日』、「芳兵衛もの」から)

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尾崎一雄氏。




Amazonを検索してみたら、尾崎一雄の、これまで電子書籍になかった著書が、Kindle化されていた。


ずいぶん前から、尾崎一雄の作品を読み直してみたい、とおもっていたのだ。しかし、Kindle化されているものは、少ししかなかった。


今回うれしかったのは、尾崎一雄が天然で明るい妻・松枝さんとの貧乏暮らしを、そのまま書いた短編小説「暢気眼鏡」など、「芳兵衛もの」といわれる、一連の作品のKindle化。



暢気眼鏡(新潮文庫)

暢気眼鏡(新潮文庫)



尾崎は、松枝夫人を題材に書くことで、私小説は暗い、というイメージを払拭し、ユーモラスな私小説を自分のものにする。


とはいえ、尾崎一雄が、妻・松枝さんをモデルに描いた「暢気眼鏡」で芥川賞を受賞するまでには、それ相応の紆余曲折があった。



文壇デビュー期のこと、彼の師・志賀直哉とのこと、大病を患い闘病生活をおくった日のこと、文士仲間との交流など、尾崎一雄の半生を描いた自伝『あの日この日』(全4冊)も、Kindle化されていた。






これも、尾崎にしか書けない私説文学史で、長いので気楽には読み返せないが、Kindleになったら再読したいとおもっていたもの。


以前、『あの日この日』が読みたくて、「日本の古本屋」から取り寄せたが、判型が大きくて、持ち運ぶには重く、買ったまま読み出せずにいた。


それが、やっとKindle化された。


「暢気眼鏡」芥川賞をとるまでのいきさつは、『あの日この日』に詳しく書かれている。



尾崎一雄は、1899(明治32)年生まれ。16歳のときに読んだ志賀直哉の中編小説『大津順吉』に、強い衝撃を受ける。


尾崎流にいえば、「この小説には文章がない!」(意味は、全編が描写で書かれていて、説明文がない、ということか)と、おどろく。


その後、志賀直哉に負けない小説を書こうとするが、かえって志賀の作品にがっしり足かせをはめられ、書けなくなる。


下曽我の実家の財産をほぼ食いつぶし、賭け麻雀や友だちからの借金で生活をつないでいたが、いっこうに小説は書けず、約五年間、沈黙する。


1931(昭和6)年、尾崎は、山原松枝と結婚。ここから、尾崎の人生は、すこしずつ好転していく。


尾崎の結婚と困窮を心配した志賀直哉は、出版社から井原西鶴の現代語訳の注文を受け、いちどは断るが、それを尾崎が訳せば、高額の翻訳料を得ることができ、また西鶴の文章のリズムが、小説を書くうえで尾崎に好影響を与えることも考え、注文を受けることにする。


志賀直哉尾崎一雄の共訳とし、印税はすべて尾崎に、という条件で出版社との契約が成立。


尾崎は、志賀直哉の名前がはいるのだから、いい加減な仕事はできないとおもい、西鶴の現代語訳に取り組む。


翻訳の見本を見てもらうため、原稿の最初の部分を持って志賀直哉を訪問するが、真っ赤に修正される。


志賀直哉は、、、

「これは駄目だね。こう崩しては、西鶴のリズムが死んでしまう・・・何よりも大事なのは、原文のリズムを出来るだけ活かすということだから・・・」


「文章に締まりがないね。生活の反映かもしれないね」




尾崎一雄『あの日この日』から)


と、散々だ。


尾崎は、志賀が修正した箇所を参考にして、はじめから翻訳をやりなおす。


再度志賀を訪問して、修正原稿をみせると、OKが出た。




「先生(志賀直哉)は松、俺は八つ手だ」


と、志賀とはちがうもっと雑草のような小説に新境地を求めて書いたのが「暢気眼鏡」


貧乏に悪戦苦闘する「私」と、そのなかでふしぎな明るさを発揮する妻・芳兵衛との暮らしを描いたこの作品は、とても爽やかな読後感を残す。


結婚で持参した着物はすべて質屋入りした。米を買うお金もなかった。そんななか、芳枝は、歯に被せた金冠がとれたので、それを売ったらお米が買えた、とよろこんでいる。


尾崎が友人とキャッチボールをやっている。尾崎が下手なので、ヤジっていた芳枝に代わると、ふしぎにうまい。強いボールでも、しっかり受ける。


得意になってボールを投げて捕っていた芳枝だが、自分が妊娠中であることを忘れている。尾崎が、腹に手をやりそれを知らせると、「まずいまずい」というように、


「頭を押え、直ぐ帰って行った。」



「芳兵衛」という短編の書き出しは、こう。

芳兵衛、というが、これはうちの家内で本名は芳枝、年は二十二の、身長五尺二寸に体重十四貫だから先ず(まず)大女の方だろう。ところがこれが身体(からだ)に似合わず大の臆病者だ。臆病であるばかりか僕の眼からは相当に思慮足らぬ方で、人前に云わでものことを云ってのけ、気に入らぬことあれば誰の前でも文字通り頬をふくらし、嬉しいと腹の底をそのまま写した程の笑顔をする。こう云うたわいのないのを芳枝などという一人前に呼ぶ気はせぬ。そこで芳兵衛。



「玄関風呂」という短編では、芳兵衛が、近所のひとが引越しするので風呂桶を安く売ってもらえる、という。尾崎がは本を売ってお金をつくってくる。


まもなく大きな風呂桶がやってきたが、おもえば置くところがない(笑)。唯一置けるのは、玄関なのでそこへ風呂桶を置く。


玄関で、風呂にはいることになる。

玄関は一坪のたたきで、火気の危険はなく水びたしを恐れる要もない。ただ、訪問客があった場合にいくらか不都合であるが、それはその時ということに相談が決まった。


「それはその時ということに相談が決まった」


芳兵衛は天然のひとかもしれないが、尾崎自身もやっぱり破格のひとにはちがいない(笑)。大家さんにバレないように、深夜、隣りの大家さんが寝静まってからはいったりしていたが、すでにバレていた。

ある時、家内が台所で何かしていると、隣り合せの大家の台所で、うちの児が大家と話している。ーー小母ちゃん、うちにはお風呂あんのよ。だけど、小母ちゃんに知られないように、そっとはいっちゃったのよ。だから小母ちゃん知らないでしょーーそんなことをしゃべっていたそうだ。


「玄関風呂」の最後には、井伏鱒二が登場する。

「うちでは玄関で風呂をたてているよ」
 ある時井伏鱒二にそういったことがある。すると彼は目を丸くして、
「君とこの玄関は、随分たてつけがいいんだね」といった。これには、こっちがまた目を丸くした。彼は、玄関をしめ切ってたたきに水をくみ込み湯を沸かすとでも思ったのだろう。呆れた男である。


まるで「いとしこいし」の漫才のようだ(笑)。



悪い癖で、整合性なく、だらだら書いてしまった。ここで、尾崎一雄とその妻・松枝さんの話、ひとまず終了いたします。


芳兵衛シリーズ、まだまだ読み返していない短編もあるので、気持ちが向いたら、またブログで整理したいとおもっています。


それに、自伝『あの日この日』(文庫で4冊)は、昭和の歴史を、「一文士」が至近距離から見た貴重な記録文学にもなっている。焦らずに、生きているうちになんとか再読を完結しよう(笑)。