かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

尾崎一雄、西鶴、志賀直哉


尾崎一雄は、小説読みの目利きだった。周辺の若い小説家の志望者は、尾崎を頼り、原稿を見せて批評を乞う。


そういう自身厳しい批評家であるから、よけいに尾崎は自身の作品にも厳しく、自分のなかの批評家が、小説家の部分を上回って、いよいよ書くことができない。


「苦節十年」という言葉があるが、尾崎に、それはあてはまった。


無為な日々が続くなか・・志賀直哉から、尾崎一雄に手紙が届く。



短編小説「暢気眼鏡」に、次のような文章がある。

居る所は汚い下宿の六畳で、机、本棚、空箪笥を並べ、コンロを廊下の隅に置いて自炊生活だ。宿主は、為事(しごと)が片付けば纏めて払うからとの私の言が信じ切れぬらしく、食事を持って来ることを断ったのだ。宿には相当額の宿料が溜まっていた。自分は今、何もせずにいるのではないから少しは余裕を見せ、落ち着いて為事をさせてくれぬものかと、多少腹が立った。

いくらでもと入金をせめ立て、食事を止めてその日の米を得るためにあちこちと駈け廻らせるのでは、結局為事は遅れて互の損ではないか、そういってみても、「うちも困っていますから」と相手にしない。いらだちと奔走とで、事実なかなか為事は捗らなかった。その為事はある全集物の一部で、遅れるほど損であることはよく判っていたのだ。



ここで尾崎一雄が「為事」といっているのは、西鶴の現代語訳ではないか、とおもう。


志賀直哉からきた手紙は以下のようなものだった。


<今度、作家の翻訳による古典全集が出る。谷崎(潤一郎)君は源氏を訳す。ぼくには西鶴を担当するよう依頼が来た。一度は断ったが、君の仕事として、西鶴の文章をじっくり読んでみるのも、仕事をする契機としていいのではないか、とおもい、依頼を受けようかとおもうがどうか>


条件は、あちらの要望もあるので、訳者は私(志賀直哉)と君(尾崎)の共著とする、君が全部訳して、印税は君がもらう・・・志賀は、尾崎の経済的な苦境を知っていた。


尾崎はこれを受けて、必死に西鶴と向かいあう。志賀直哉との共著とあれば、少しも手をぬくことはできない。



ある程度翻訳ができると、見本として一部の原稿を持参して、奈良の志賀直哉を訪問する。


尾崎の翻訳原稿を、志賀は真っ赤に修正した。


志賀は、「文章がゆるんでいる。生活の反映かもしれない。翻訳といっても、子供にまでわからせる必要はない」


西鶴のもつ強いリズムを翻訳のなかに生かさなければいけない、と手厳しい注意を受ける。


さらに志賀は、「先日小林多喜二が来たが、警察に追われているので、原稿は、電車のなかで書いたりするそうだ」


<生活がどうであれ、書こうと思えば書ける、それに比べて君は>という志賀直哉の言外の叱責に、尾崎は頭が上がらない。


「生活の反映かもしれない」は、尾崎を直撃した。事実、ちっとも小説を書くができず、だらだらとした怠惰な生活に流されていたのだ。


尾崎は志賀の修正を参考にし、はじめから全部書き直す。志賀直哉の好意にきちんと応えたかった。


そうして、再度翻訳した尾崎一雄西鶴は、次に志賀直哉に見せたとき、数枚を読んで、合格。


尾崎の西鶴現代語訳は、しばし家計を楽にしたが、その後の仕事のきっかけにも、つながっていく。