かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

志賀直哉と武者小路実篤(白樺文学館の公式ホームページより)


我孫子白樺文学館の公式ホームページでは、二人をこう紹介している。

志賀直哉武者小路実篤


わがままでかんしゃく持ち、父親の言うことなど少しも聞かなかった志賀直哉


一番好きだった祖母にも、「年寄の言いなり放題になるのが孝行なら、そんな孝行は真っ平だ」と言い放つ。


実業家である父の直温(なおはる)は「なんの因果で貴様のような奴が生まれたのか」と言い、息子の死さへ願った。


二歳年下の直哉の親友、武者小路実篤も、夢想主義者と酷評され、危険思想の持ち主とさえ言われる始末。彼は海に向かって何度も叫んだ。


「おお波よ、海よ、空よ、ここに立つ一人の男を見よ。この男こそ唯の男ではないぞ、よく覚えておけ。』 と。


学習院で学業成績下位を争った二人(直哉は二度落第)は共に東大に入ったが、権威主義とつまらない講義を嫌ってほとんど授業にも出ず、中退。


【注】当時は、学習院から東大へは文科ならば無試験入学。



異端者と言われたこんな彼らが、親や世間の冷たい目に少しもひるまず自分自身の真実を掘り進めて、ついに独力で新しい時代を切り開いた。


日本の人間開眼! 1910〜20年代第一次世界大戦ロシア革命前後)、ここ我孫子の地は『白樺』村とも呼ばれ、権威に頼まず旧来の道徳に抵抗した若き白樺派文芸闘士たちの一大拠点となった。


彼らは大胆に自己を肯定し、互いにその強い個性を認め合って生きたのだ。


さあ、彼らの息吹を吸おうではないか。


(1999年3月 武田康弘) 



さらに、志賀直哉を、こう簡潔に紹介している。

志賀直哉(1883-1971)


山の手のお坊ちやん。学習院の異端者。「私」の感性を拠点にした体制への反逆。


天皇バカラシイ存在とみなし、天皇制を批判。(50才半ばを過ぎ小説が書けなくなってからは、親和的になる。)


学習院を二度落第。夏目漱石を慕って東大の英文科に進むが、東大の権威を嫌い中退。


「夏目さん」だけを慕い、授業には出ず、「友達耽溺(たんでき)」。


運動神経抜群。スポーツ、特に機械体操が得意。


鋭利でかつ強く、率直。心身のすみずみまで行き届いた神経。


「自己熱愛」= 自我への限りなき誠実と、徹底が、純粋意識としての「私」の世界を開く。


『自分は文法は少しも知らないが、頭脳の構造には忠実に書く。』


筋肉質の力強い文体。あくまで「私」の心身に直接響く美を信じる。


内側から惨み出る自然な美を尊重し、過剰なもの・装飾的なものを嫌悪する。


芸術至上主義を厳しく批判、生活の優位を主張。平和な家庭生活を目がける。


迷信・俗信を嫌う。子供と動物を愛す。枇杷(びわ)の花(木)が好き。


澄みきった透明で美しい目。深く冴えて優しく、極めて男性的、意志的な目。


遺書により、記念碑の類を建てることを禁止。葬儀は無宗教で行われた。


(1999年3月 武田康弘)