かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

是枝裕和著『歩いても 歩いても』


歩いても歩いても
同名映画の原作。ただし監督本人が書いているので、どこまで小説と映画が分離して成立しているのか、わからない。


映画の着想を膨らませるために、小説を書くのか、ともおもうけれど、それならシナリオを書けばよいのだろうし、この小説を書いている時点で、是枝裕和監督が、映画と原作をどのようなつながりで考えているのかは、想像するしかない。


内容は、ほぼ同じ。ただ文字表現の特性で、人物の好悪や考えは、映像より明確に表現されている。映画では水面下で描かれ、穏かそうな家庭のなかにも、歪みのようなものが暗示されているが、小説ではその正体がもっと明らかにされている。


頑迷な父への息子の苛立ちは、根が深く、そうそう父が老人になったからといって、父への不快の根っこが緩和されるものではない。


独善的な母にも、母を慕う息子の感情をはみだす<違和感>がつきまとう。息子は時々醒めた眼で、<異星人>のように母を見る。


さらに、映画ではもうひとつわからなかった、両親の夫婦関係の悪さがある。この母(つまり妻)は、頑迷で妻に心をひらかない夫に対して、ほとんど憎しみに近い感情を秘めている。


痛切なのは、普段ガラクタを捨てないもったいながりの母(つまり妻)が、夫が亡くなったとき、その所持品や衣類を未練もなく処分したという。仲がよかったとはいえないまでも、長く続いた夫婦関係への郷愁のようなものはないのだろうか、と主人公は、怪訝な思いをいだく。



部分的には、次のような描写に惹かれた。


主人公の<僕>は、母との電話で、「泊まるよ」とおもわず言ったものの、言ったあとからすぐ後悔している。できれば、実家に泊まりたくない。しかし、言ってしまった以上、断るには、何か理由がなければならない。


その言い訳を、<僕>は、妻に押しつけようとする。

「何かさあ、PTAの集まりが急に入っちゃったとかさ・・・」
 僕の思いつきの一言を聞いて、ゆかりは人差し指をゆっくり自分に向け、
(私に何とかしろって言うの?)
 と、訝しそうな顔を僕に向けた。
「うん、駄目かな?」
 きっと僕は縋るような眼をしていたのだろう、ゆかりは大きなため息をついた。
「あなたはすぐそうやって他人(ひと)のせいにするんだから」


ぼくは、このなかの、

 僕の思いつきの一言を聞いて、ゆかりは人差し指をゆっくり自分に向け、
(私に何とかしろって言うの?)
 と、訝しそうな顔を僕に向けた。


という描写が好きだ。


ゆかりという女性が、生き生きと眼に浮かんでくる。そのしぐさは、夫への批判の意思表示でありながら、聡明な女性が持つユーモアをも、あわせもっている*1

*1:このシーンは、映画のなかでも生かされていた。