かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

ジャ・ジャンクー監督『山河ノスタルジア』を見る(4月30日)


池袋で姉のところへ泊まった妻と待ち合わせ、渋谷の「ル・シネマ」へ、ジャ・ジャンクー監督の『山河ノスタルジア』を見にいく。


最初は、おさななじみ3人の関係が描かれる。男ふたりは、タオというひとりの女性を好きで、どちらがタオをとるかで男同士の関係が壊れていく。事業欲に燃えたお金持ちと、貧しい労働者というふたりの男のなかからタオが選択したのは、お金持ちの方。当然といえば当然か。お金には困らない生活だが、結局このふたりは離婚。ふたりには男の子(ダオラー)がいたが、親権は夫にとられ、タオはひとりで暮らすようになる。時が経過して、タオはガソリンスタンドを経営して、生活には困っていないようだ。このへんは、映画あまり説明していないので、どういう経過からタオがガソリンスタンドを経営するようになったかはわからない。


映画のクライマックスは、そのあとにある。夫にひきとられて育てられたダオラーだが、お金しか信用しない頑迷な父に反抗して家を出る。ダオラーには、生まれて一度しか会ったことのない母(その記憶もかすかにしかない)の面影が膨らんでくる。


最初おさななじみ3人の人生が、時代の波のなかで描かれていくのか、とおもっていたが、そのうちのひとりは途中から登場しなくなるし、夫になったお金持ちも、結局母子の物語の前座でしかない。また中心となる母子の再会は、映画の時間のなかでは実現せず、余白として残したまま終わるのがちょっとおもしろい。


Bunkamuraの映画解説に「時代のうねりのなかで翻弄され、彷徨い漂泊していく人びと」とあるけれど、タオに限っていえば、翻弄されるのは、時代にというより、頑迷な夫の本心を見抜けず、お金持ちの事業家を選択したことが原因のようにおもえてしまう。


Bunkamuraの映画解説」
http://www.bunkamura.co.jp/cinema/lineup/16_sanga.html



渋谷の「磯丸水産」で、妻と食事。そのままいっしょに川越へ帰る。川越駅を降りたら、岩合光明(いわごう・みつあき)の「ねこ展」のポスターがあったので、まるひろデパートまで見にいく。自分では猫より犬が好きだとずっと思っているし、いまもそうだが、岩合光明が撮った愛情のこもった猫の数々の表情を見ていたら、猫が飼いたくなった。なんていい表情を撮るのだろう。



■岩合光明氏の写真展から