tougyouさん、jinkan_mizuhoさんが『歩いても 歩いても』を見たというのに刺激され、DVDをレンタルして見る。
最初はこれがロード・ショーにかかったとき見ている。是枝ファンとしては、期待に応える快作で、深く繊細で味わいに満ちている作品だった。
二度目なのに、見始めるとすぐに惹きこまれた。ひとつひとつの会話、家族ひとりひとりの心の動きが的確にとらえられ、そのうまさにうなりながら見ていく。
どこにもいそうな老夫婦。父はもと町医者で、プライドが高く、家族のなかでも、ひとづきあいがうまくできない。
母は一度も外で働いたことがない。家のなかが、世界のすべてで、台所を中心に生きている。ありふれたこの母に、樹木希林が魂を吹き込んでいる。役者の力量がすごい。
この母と娘の台所の会話から映画がはじまる。実の娘だから、ふたりの会話はくったくがない。
ところがこの映画、表面はおだやかな家族のなかの<くったく>を描いた作品なのだから、導入もうまい。
YOUが演じる娘もいい。ちょっと調子がいいくらいだが、この家のなかでは、ものごとの常識を判断するのに一番ニュートラルなのは、この娘かもしれない。母のことも、父のことも、亡くなった兄や良多(阿部寛)のことも、一番よく知っているようだ。
この娘、性格は明るくてさっぱりしている。
YOUの演技は、演技というより、まるで彼女そのものを演じているようだが、ふしぎなことにちゃんと映画の額縁におさまっているし、ほかの誰がこの役をやっても、これほど適切ではないようにおもえてしまう。
家族のなかで誰とも会話のできる気さくな娘だが、彼女なりの思惑はあって、そろそろこの実家を自分の家にもらいたい、と考え、母に同居をもちかけている。しかし、母は娘家族との同居にあまり乗り気でない。
良多(阿部寛)は、父とそりがあわず、早くに家を出てしまったようだ。いまでも、父との関係はギクシャクしている。
良多は、子供のひとりいる女性と結婚していた。絵画の修復師を職業にしているようだが、現在は失業している。それを実家にきて、隠している。父へのメンツのためらしい。
良多には亡くなった兄がいた。兄は溺れそうな子供を助けようとして、水死してしまった。両親にとって自慢の子だ。ひとを助けて亡くなったため、この長男の思い出は年々純化されていく。
それがため、偶像化される兄と比較されて、良多はこの家が居心地よくない。
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そんな家族が、亡くなった兄の15回目の命日に集まる。その1日が淡々と流れていく。それは自然のままで、どこにもムリがない。
どこか無作為に抽出した<一家族>の1日を見ているような気がするくらい、自然だ。
しかし、、、
父と良多の気まずい関係は、改善されていない。
良多が子持ちの女性と結婚したことで、優しそうな母までが、「なにも子連れのひとと結婚しなくてもねえ」と、あからさまにいう。
そういう言葉のトゲが、映画の平穏さに突き刺さる。
兄が助けた子供は、18歳のフリーターで、とりえのない青年になったようだ。毎年命日には招待されてやってくる。
真夏のことで、青年はワイシャツの上まで、汗びっしょりだ。太って挙動所作もだらしない。
もちろん青年は、ここへくると、言葉はやさしいが、自分に向けられる厳しい両親の目を知っている。
母は、あんな子のために自分の大切な息子が死んでしまったことをやりきれなくおもう。
気まずい時間が流れていく。
「気の毒だよ。もう呼ばなくてもいいんじゃない」と良多は母にいうが、
「そんな簡単に忘れてもらっては困るのよ。1年に1回でも気まずい思いをしてもらわなきゃ」
と、母は、良多が意表をつかれるような、怖いことをいう。
母は、息子が助けた青年の成長を見守っていきたい、などという優しい心から青年を毎年招待しているのではないのだ。
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良多へ子連れで嫁いだ妻を夏川結衣が演じている。お嫁さんが配偶者の実家へ来て払わなければならない気遣い、遠慮がリアルに描かれている。
舅・姑の、目の届かない小部屋で、足をのばして休む夏川結衣。
自分の妻がむかし実家へきて、「ちょっとお嫁さんも休ませて」といいながら、わたしの部屋へきて、ため息をついていた、ことなど思い出す。
そういう描写がにくらいしいくらい的確で、夏川結衣が自分のお嫁さんのようで、かばってあげたくなる。
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亡くなった兄の15回目の命日が終わり、老夫婦のもとを、子供たち家族は去っていく。
jinkan_mizuhoさんとtougyouさんが書かれたように、
父が「次は正月か」(次回家族が集まるのは、という意味)、という。
1日自室にこもって、一番つまらなそうな父からそんなセリフが出てくるのがおもしろい。内心では、家族の集まりがたのしかったのかもしれない、とおもわせる。
が、次の場面では、良多が妻に、「今度来たから、もう正月はいいか」などといっている。
結局両親と子供たちのずれは、埋まらない。そんなことをおもわせる象徴的なシーン。じつにうまい。
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こんなシーンでは、笑った。
自室にこもりがちな父の部屋を、娘のYOUが訪ねる。
父は、、、
「みんなここを、おばあちゃんち、おばあちゃんち、というが、この家はおれが働いて建てたんだぞ」と不服をいう。
娘はあきれてなんともいえない。
父の部屋を出てから一言、「ちっちゃい」という。じつにおかしくて、絶妙なシーンだ。頑迷な父が愛らしくおもえてくる。
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ラスト、父と母が石段をのぼっていく。まもなく父が母が亡くなったことを、良多のナレーションが告げる。
ここで終わりでいいと、ぼくはおもう。
しかし、映画には3年後、両親の墓を見舞うシーンがある。
母が、黄色い蝶は死者の生まれ変わり、というシーンが、ここで良多の口から子供たちへ繰り返される。
これは、つくりすぎではないか。
他の映画監督ならともかく、こういう見え透いた手法を使わないのが、ぼくは是枝裕和監督だとおもっているので。
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追記:
- 以前わたしがロードショーで見たときの感想は、こちら。