かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

貴田庄『小津安二郎文壇交遊録』

小津安二郎文壇交遊録 (中公新書)




このところ、小津安二郎関連の本を3冊続けて読んだ。これはそのなかの1冊。


読書家だった小津安二郎だが、小津が生涯とくに愛読した作家としては、里見弴、志賀直哉谷崎潤一郎永井荷風が思い浮かぶ。この4人の作家に川端康成をくわえて、その交流と小津への影響を調べた本。


谷崎潤一郎

いち早く小津が愛読した作家は、谷崎潤一郎。谷崎のどこに小津が惹かれたのか、どのような影響を受けたのか、本のなかからもう1つわかりにくい。しかし、小津は生涯谷崎を愛読していたようだ。小津は「源氏物語」を谷崎の翻訳で読み、「文章読本」で、志賀直哉の文章の「極意」を知った気配もある。



里見弴

小津は戦地で、里見弴の「鶴亀」という短編を読んで感銘を受ける。なんて会話のうまい作家だろう、とホトホト感心する。それから小津の日記には、里見弴の名前が頻出。小津映画の独特の会話に、里見弴を見つけることはむずかしくない。


小津自身、戦後の作品に、里見弴の小説からいろいろなものを盗用したことを認めている。さほどに、里見弴の文学は、小津からみて豊潤だった。うまさをきわめていた。

現代あまり読まれていない里見弴の文学を再検討することは、小津がそこから何を学んだか知るうえでも興味深い、とおもうのだが、残念ながら本屋で入手できる里見とんの小説がすくなすぎる。


小津安二郎の「晩春」には、里見弴の短編「縁談窶(やつ)れ」がはいっていると、里見は小津をからかう。「存外まじめに小津君が否定した」と里見は書く。ストーリーに類似性はない。が、作品の香りのようなものに共通した味わいがなくもない。


里見弴、忘れ去るには、惜しすぎる作家。



志賀直哉

小津は志賀直哉を崇拝した。

愛読などという生易しいものではない。笠智衆は、撮影所に志賀がやってくると、あの小津が直立不動になって、「はい、はい」と、小学校の生徒のように、志賀の質問にこたえている様子を目撃している。


志賀直哉の影響は随所に見られる。


小津の映画は、ますますストーリー性を喪失していく。志賀の「小僧の神様」のようなものを映画にしたい、という。「小僧の神様」は、志賀のなかではストーリー性があるほうの作品だが、小津のいいたいことは理解できる。映画で「城崎にて」はむずかしい。しかし、「小僧の神様」なら、最小のストーリー性で映画化も可能だ、と小津は考えたのかもしれない。


小津は映画の表現外にある余白、ということも対談で発言している。志賀の小説は簡潔で説明がすくない。行と行のあいだに書かれてない余情がにじみでている。小津はそれを映画のなかで表現したい、と考える。小津の映画に、その成果は十分に出ているとおもうのだが……。


小津の映画に登場する子どもと、志賀の小説にあらわれる子どもの共通性はどうだろう。


志賀の「子供三題」に登場する子供は、ちゃぶ台に飛び乗ったり、飛び降りたりして遊ぶ。見かねたおばあさんが注意すると、「うるせえ、クソ婆あ」と憎まれ口をたたく(笑)。これも、小津の映画にそのまま登場しそうだ。


小津にも、志賀にも、優等生の子供は登場しない。



永井荷風

小津が戦後もっとも熱心に愛読したのは、永井荷風の日記『断腸亭日乗』だった。連日「荷風の日乗を読む」と小津日記に記されている。


新しい日本から忘れ去られていく古い「文化」をさがして、永井荷風は下町から下町へ歩いた。荷風は、近代化されない、東京のさびしい風景を好んでさがした。


生涯独身を通した小津安二郎は、やはり伴侶をもたなかった永井荷風のどこに共感を寄せたのか。


小津の永井荷風熱が映画に登場するのは、「東京物語」。


両親が住んでいるところは、志賀直哉でゆかりの深い尾道に決定した。しかし、子供たちの住んでいる「東京」は、浅草周辺や、浅草に近い堀切に設定されている。どちらも、永井荷風の『断腸亭日乗』に登場する場所だ。


しかし、ぼくが小津安二郎永井荷風の関連を話すのには、もっと永井荷風について深く知らなければならない、とおもう。