かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

成瀬巳喜男監督『山の音』(1954年)を見直す

去年の秋、紅葉を見に新宿御苑を散歩したころから、もう一度『山の音』を見直したい、という気持ちが強くなった。


その前は、山村聡の家の玄関から奥に見える山がセットであることにおどろき、そう見えなかったし、着物を着た女性が、その小山へ登っていくシーンがあるので、もう一度本当にセットなのかどうかを確認したい気持ちで見たが、今回はそういう予備知識なしに、映画全体としてできるだけ白紙の気持ちで見てみたいとおもった。


『山の音』は、見るたびに味わいを増す作品だ。とくにぼくはこの映画の山村聡に魅力を感じている。息子の行状の悪さに手を焼き、その嫁に同情を寄せる。二人の関係を修復させようと、息子の愛人に会いにいったりもするが、事実を知れば知るほど、息子の救いがたい行いばかりが見えてくる。それを抑制された演技でやっている。この映画の山村聡がとてもいい。


山村聡は、妻の姉がもともと好きだったが、それがその妹と結婚することになってしまったようだ。その原因は映画では明らかにされていない。ただそのためか、山村聡と妻のあいだは、どこかしっくりしない。息子の嫁と話すときが、一番気持ちがぴったりする。原節子を見る目の優しさが、しっかり表情から伝わってくる。


これを義父と嫁の<恋愛>映画と狭義の解釈をしてはつまらない、とおもう。年齢を超えて、性別をこえて、人間的なウマがあう・・・そういうことはあるはずだし、それが異性同士なら、なおさら<恋愛>でなくても、惹かれあうかもしれない。それ以上の限定は、個人的には必要ない、とおもう。


恋愛のようで義父と嫁の関係を超えない・・・そういうあいまいといえばあいまい、多義的なふたりの関係を描いていることが、なんど見ても味わいをます。


原節子のどうしようもない夫を演じるのが上原謙。妻を苦しませ、愛人からも半ば愛想を尽かされている。


二枚目俳優の上原謙は、しかし、こんな陰険な役柄をよく引き受けた、とおもう。先日、ラジオで加山雄三が「おやじはダイコンだったから」と、以前からの「上原謙、大根役者説」をまた繰り返していたけれど、『めし』などを見ると、ぼくは上原謙が大根役者だとはおもわない。


新宿御苑へ来ると『山の音』のラストシーンが撮られた場所へ、いつも足を向ける。映画の新宿御苑は、まだ木々もすくなくて、広々としていた。いまは、ロケ地近くに薔薇園などがあって、だいぶ整備されている。


山の音 [DVD]

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