かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

フレッド・ジンネマン監督『真昼の決闘』(1952年)

真昼の決闘 [DVD] FRT-031

真昼の決闘 [DVD] FRT-031


好きな西部劇。久しぶりに見直す。



上映時間と映画のなかの進行時間が同じ。それが、緊迫感を盛り上げる。


正午には、男が復讐にやってくる。駅で、それを3人の子分が待っている。


ゲイリー・クーパーは、むかしこの荒くれ者を捕まえ、町に平和をもたらした保安官。しかし、その死刑囚だった悪者が、恩赦で釈放され、町へ復讐にもどってくる、という。なんて迷惑な恩赦だろうか。


保安官ゲイリー・クーパーは、自衛団のような組織をつくるため、助手を募集するが、荒くれ者たちを恐れて、町の男は、誰ひとりやってこない。


町ぐるみで、彼を見放す。この町の住民の冷たさが、凄い。


ひとりで闘わなければならなくなったクーパーの恐怖が手厚く描写される。人間を彫り深く描いた、この西部劇のみどころだ。


保安官は、長年町を守ってきた人間としての誇りと恐怖が衝突する。


いっときは、厩(うまや)へいって、馬で逃げることも考えるが、人間としての誇りが、それを許さない。


結局彼はひとりで、復讐にやってきた悪者4人とひとりで闘うことになる。クーパーは決闘には勝つが、荒涼とした人間への不信感が、映画の余韻として残る・・・。



すばらしい映画だが、むかしから素朴な疑問がある。


悪者は腕がたつといっても4人。列車を降りると、4人並んで、町を歩いてくる。


もし、5〜6人の男が建物のなかから、窓から、銃でいっせいに狙撃したら、ひとたまりもないのではないか。


映画でクーパーを助けたい男も出てくるが、ほかに助っ人がいないことを知って、尻込みして帰ってしまう。


七人の侍」のように、きちんと作戦を準備して、勝ち目のあることを町の男たちに示せば、状況は変わってきただろう、とおもうのだが・・・。


この名画に感動した最初から、同時に、そういう疑問が消えない。