- 作者: 松村雄策
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2012/10
- メディア: 単行本
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松村さんの文章を読んでいると、むかしの「文は人なり」という言葉を思い出す。
意味は、<文章というのは、それを書いた人間をあらわしている>というようなことだろうけど、しかし、そういう名文が、そんなに簡単に書けるものではないだろうし、現在「文は人なり」という言い方をする例も、ほとんどみない。むしろ、新聞や雑誌は、書き手の個性を消して、主旨を正確に伝えるのが文章を書くうえの本筋だろう、とおもう。
しかし、わたしは、むかしから松村さんの文章を読むと、この「文は人なり」という言葉を、なぜか思い出してしまう。
それにしても松村さん、文章うまい!
明晰で力強くて、抽象的な表現のごまかしがない。一行一行がスッとこちらへはいってくる。自分の生き方の姿勢を明確にしているから、こういう文章が書けるのだろうか。
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内容は、ビートルズの全アルバムの解説。
このテーマは、もうさまざまなビートルズ研究家、評論家が挑戦しているので、この本から新しい知識を得ようとおもって読む人は少ないかもしれない。
そんなことではなくて、、、
そこにはさまれる松村さんの意見や感想には、後年の研究者が資料を並べて分析するものにはないリアル体験者の凄みがある。読者はそれを期待して、この本を手にするのだろう。
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わたしは、ほとんど松村さんと同じ1964年春からビートルズ体験をしている。だから、思い当たることが多い。
日本武道館のこんなことも、その一例だ。
ビートルズが聴こえなかったというのも、無知である。日本武道館にビートルズを取材にきた記者は、社会部だったのだ。音楽や舞台の担当者だったら、ちゃんと聴こえていただろう。
こういう大胆な文章は、松村さんでなければ書けないし、松村さんしか、書かない(笑)。
おもしろいのは、ビートルズを本当に聴きたかったファンには、演奏は十分聴こえた。聴こえなかったというひとは、いったい何を聴きにいっていたのだろう?
当時話題性につられて、多くの文化人、知識人が日本武道館へ詰めかけた。そして新聞や雑誌に「ファンの悲鳴や歓声がうるさくて、音楽が聞こえなかった」と、いうような感想を、一様に書いた。だから、いまだにそうおもっているひとがいる。
松村さんがいうように、それはウソだ。
ビートルズ自身にも、日本武道館のコンサートは聴こえていた。彼らは、演奏がよく聴こえたので、自分たちの演奏のまずさに焦った、というのだ(笑)。
ビートルズの日本公演は、ファンには聴こえて、それ以外のひとには聴こえないという、前代未聞のコンサートだったのである。
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ともかく、ビートルズの日本公演のコンサートには、敵が多かった。警察、教育委員会、PTA、大学応援団、新聞、雑誌・・・。しかし、僕達は負けなかったのだ。ジョンとポールとジョージとリンゴが演奏しているのを見たのだから。一九六六年七月一日日本武道館、十五歳の僕はビートルズを見たのである。それが僕の人生を決定し、僕は今ここにいるのである。
これも本当だ、とおもう。まったく、いやになるくらい敵が多かった。わたしは、ビートルズ来日公演の話をひとに話していると、ビートルズを見た感激よりも、「敵」について怒りをぶつけることが多くなってしまう。四面楚歌、というのが当時の実感だった。
1981年。書店でたまたまみつけた、松村雄策著『アビーロードからの裏通り』を読んで、<人生をビートルズで決定された>同世代の仲間に、はじめて出会ったとおもった。
その松村さんのひさしぶりの新刊である。松村さんの文章は、書かれているテーマの中央に、著者自身がしっかり立っている(笑)。それが松村ファンには醍醐味だ。
しかし、それに共感するかどうかで、本の見方がわかれるかもしれない。