かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

竹内浩三「骨のうたう」(1942年)

骨のうたう


戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
遠い他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や

(以下略)


この詩を書いたのは、竹内浩三です。竹内浩三は、映画や読書が好きな青年。日本大学では芸術学部の映画科を専攻しました。また、友人たちと同人誌『伊勢文学』を立ち上げたりしています。


どこかひょうきんな性格で、学生時代にこんな詩を書いています。

金がきたら


金がきたら
ゲタを買おう
そう人のゲタばかり かりてはいられまい

金がきたら
花ビンを買おう
部屋のソウジもして 気持ちよくしよう


金がきたら
ヤカンを買おう
いくらお茶があっても 水茶はこまる

金がきたら
パスを買おう
すこし高いが 買わぬわけにもいくまい


金がきたら
レコード入れを買おう
いつ踏んで わってしまうかわからない


金がきたら
金がきたら

ボクは借金をはらわねばならない
すると 又 なにもかもなくなる
そしたら又借金をしよう
そして 本や 映画や うどんや スシや バットに使おう
金は天下のまわりもんじゃ
本がふえたから もう一つ本箱を買おうか


このわたしたちと変わらない、ちょっと呑気な青年が、やがて召集に駆り出されます。


軍隊へいくことが決まってから、こんな詩を残しました。友人たちとお別れ会をやった様子が書かれています。

わかれ


みんなして酒をのんだ
新宿は、雨であった
雨にきづかないふりして
ぼくたちはのみあるいた
やがて、飲むのもお終(しま)いになった
街角にくるたびに
なかまがへっていった


ぼくたちはすぐいくさに行くので
いまわかれたら
今度あうのはいつのことか
雨の中へ、ひとりずつ消えてゆくなかま
おい、もう一度、顔みせてくれ
雨の中でわらっていた
そして、みえなくなった


竹内浩三は、世の中をわたるのが不器用な青年で、軍隊生活に自分をあわせるのにひどく苦労しました。ゲートルをうまく巻くことができず、軍事教練できちんと整列行進することができない、銃の手入れがうまくできない……そのたびに上官の制裁を受けました。


1945年、フィリピンで竹内浩三は死ぬ(23歳)。


戦死か病死かも、はっきりせず、もどってきた骨壺に、彼の骨ははいっていませんでした。


竹内浩三のお姉さんは、「あの子が人と殺しあっている姿は、どうしても想像できません」と、いっています。


戦争のさなかにあっても、竹内浩三は、優しさと愛らしさを最後まで失わなかったことが、彼の残した詩や文章を読むとわかります。


わたしは、以前このブログに、こんなことを書きました。

ある俳優が、「家族のためなら、戦争で死ねる」といったことが、ちょっとした話題になった。ちっとも偉くないのだよ。そういうヒロイズムの意識こそ、人間を狂わせるのだ。ヒロイズムが、伝染病のように広がるともう手がつけられない。


竹内浩三は、最後まで「殺し殺される戦争」をなかなか受け入れることができなかったようです。


こんな詩を手帳に残しました。

ぼくが汗をかいて、ぼくが銃を持って。
ぼくが、グライダァで、敵の中へ降りて、
ぼくが戦う。

草に花に、むすめさんに、
白い雲に、みれんもなく。
力のかぎり、根かぎり。
それはそれでよいのだが。
わけもなく悲しくなる。
白いきれいな粉ぐすりがあって、
それをばら撒くと、人が、みんなたのしくならないものか。


(「筑波日記」より)



竹内浩三の本と竹内浩三について書かれた本を1つずつあげておきます。稲泉蓮さんの本は、現代の青年の視点から竹内浩三を見ていて、わたしが彼に関心をもつきっかけになりました。


戦死やあわれ (岩波現代文庫)

戦死やあわれ (岩波現代文庫)