ちょっと時間ができたので、アパートから歩いて5〜6分のところにある「イオン板橋」で、『GODZILLA ゴジラ』を見てくる。
日本映画の水爆大怪獣映画『ゴジラ』(1954年)が創られて、ことしでちょうど60年目、ということだけれど、この第1作はむかし過ぎて、あまり記憶にない。
リアルタイムで熱心に見にいったのは、1962年の第3作『キングコング対ゴジラ』。
これは地元の映画館の入り口に、キングコングとゴジラの手作り風の大きな像が作られていて、身長、体重、得意技などが書かれていて、プロレスの力道山対ルーテーズのような鳴物入りで(っていっても、もう誰も知らないかな)、子供たちの好奇心を煽っていたのを思い出す。
この作品が大ヒットしたためか、ゴジラは水爆や放射能の問題を離れて、次々に登場する新しい怪獣との対決を見せ場にするシリーズに変わっていったようだ。
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今回は、2本目のアメリカ版ゴジラで、前作は外貌が日本版ゴジラと似ていなかったが、新作ではその違和感が消えた。
アメリカ版は、前作も今作もいろいろゴジラ登場の背景をそれらしく説明してくるけど、こちらはもともと科学知識が乏しいので、右から左へ筒抜け・・・よくわからないまま怪獣の登場を待つ(笑)。
で、今回のアメリカ版ゴジラはわたしが1962年に見た『キングコング対ゴジラ』からスタートした「ゴジラ対決シリーズ」の1作ともいえるようで、「ムートー」という2頭の放射能怪獣が出てくる。
話は、この悪い2頭のムートーと地球の壊滅を救おうとするゴジラの対決である。しかし、ゴジラの思惑がわからないから、地球軍(アメリカ軍)は、ゴジラをも攻撃する。その人類の攻撃も受けながら、満身創痍、ムートーと闘うゴジラの姿には哀感が漂う。
ゴジラのみどころは、やっぱり彼が歩くたびに、近代都市がもろくも破壊されていくところだろうか。本作は、ゴジラよりも、むしろ悪意を持ったムートーによって、アメリカの都市が無惨に倒壊していく。
アメリカ版でうまいなぁ、とおもうのは、ゴジラやムートーの身体の部分だけを見せ、なかなか全身を見せないところ。結果、全身の大きさは観客の想像にゆだねられる。足やシッポだけでこれだけ大きいのだから、全身はどれだけ巨大だろうか、と見る前からワクワクドキドキしてくる。
ゴジラの理解者芹沢博士を演じるのは、渡辺謙。父は、広島で被爆して亡くなった、と説明するシーンがあるけれど、それがとくに映画の奥行として生かされているほどではない。
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眠くもならず、それほど映画に圧倒されることもなく映画館を出て近くの中華屋さんへ寄り、生ビールを飲んで喉を潤す。