- 作者: 里見トン
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/08/10
- メディア: 文庫
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むかし読んだのは、おそらく神保町で買った里見弴著『彼岸花』(あるいは『秋日和』だったかもしれない)というタイトルの古本だろう、とおもって家を探したがみつからない。これも実家の物置へ送ったダンボールのなかに詰めてあったようだ。
それで図書館へいったついでに、里見弴の「縁談窶」が収録されている本をさがしてもらったら、『里見弴短編集 恋ごころ』(講談社文芸文庫)を検索してくれた。
数日して「リクエストの本が届きました」のメールがきたので、すぐに借りにいく。
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「縁談窶」は、里見弴の小説の魅力がギッシリ詰まっている。あらためてこの作家のうまさを堪能。
亡くなった友人の娘が、母親の持ってくるたびたびの見合い話に「縁談窶れ」して、軽い鬱の表情になっている、というストーリーだが、話の展開よりも、主人公・阿野(あの)と、その娘・都留子の粋な会話が、作品の主な魅力になっている。
阿野は、母親からも頼まれ、都留子(つるこ)という生粋のお嬢さんの縁談に、それとなく尽力しなければならないような立場に置かれるが、どうも亡くなった友人の娘という以上の好ましさを彼女に感じているような風情がなくもない。それが露骨に描かれていないだけに、かえってひとつひとつが艶めかしい。
小説の冒頭からして、どことなく・・・・・。
「小父さん」
子供からの馴れで、そういって阿野を呼びかける都留子の調子には、毛ほどの不自然も感じられなかった。心からの信頼が、それを覆い隠そうとさせたり、控え目にさせたりするような邪気なしに、ぞんざいといってもいいほどの露骨さで見透かされた。「小父さん、お酌してあげましょうか」
暫く話しが杜切(とぎ)れていたあと、だしぬけにそう言って、隅を切った長方形の、平べったい急須のような、錫製(すずせい)の酒器を把(と)りあげ、真正面の席から身を乗り出して来て、そのとき初めて都留子は、晴々とした微笑(わらい)顔を見せた。唇より、寧(むしろ)、じっと見詰めた大きな目もとで笑っていた。
縁談の話をしているときは、下をむいて黙っていた若い女性が、「小父さん、お酌してあげましょうか」と、だしぬけにくる。若い未婚の女性のなかに、もうひとりの別の艶っぽい「女性」が突然出現したようで、これには阿野でなくても、ハッとする。
表面的には、なにも起こらないし、それぞれの立場をはみ出さない。でも、阿野のなかには、尋常をはみ出す心の不穏さがあるような、、、
阿野は、きょうあたり都留子が鎌倉に来るかもしれない、と、東京行きの電車へ乗るのを少し遅らせる。
このあたりも、ほとんど恋人を待つようなおだやかでない心のありようだけれど、そのあとが凄い。
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阿野は、都留子を待ちながら、「痴情の限りを尽した昔日(むかし)の思い出」を喚(よ)び起す。
三日三晩ひと間に籠りきって、食べるものさえ碌に食べず、たまに執る箸も、寝床の上に腹ン這いのまま、というような為体(ていたらく)でいながら、その四日目の午後(ひるすぎ)、妓(おんな)が髪を結いに行っている間、ちゃぶ台に頬杖ついて、じッと時計のセコンドを睨めたきりで過ごした一時間あまり・・・・・
妓(おんな)が髪結いに行っていま何をしているか「目に見えず、耳に聞えず、手に触れられない女の一挙一動を、寸分の誤りなく思い計ろう」と、分刻みに待ったことを思い出し、、、
<あの女もどうしているか・・・・・>
と、都留子から波及して、むかしの「痴情の限りを尽した」思い出に耽るのだから、この連想シーンは、ドキッとさせられる。
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都留子が結婚して、ホッとしたような寂しいような複雑なおもいは、母の勝子と阿野とに重なるところもあるが、ひとりになってからの阿野の不機嫌さは、世話人の「疲れ」を超えているようにみえてならない。
<多少の異変があっても、それが心のなかで起きる限りにおいては、何も起こらないに等しいのではないか>
里見弴のそのへんのさじ加減は、神業というか絶妙というか、ひたすら感心するばかり・・・・・。
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「縁談窶」を読むと、どうしても小津安二郎監督の『晩春』への類似が連想されるが、『晩春』の原作は、広津和郎の「父と娘」であって、ストーリーや設定は「縁談窶」と重ならない。だから、小津監督は、里見弴のクレジットをいれなかったのだろう。でも、やっぱりまったく関係がない、ともいえないようだ。
2007年5月7日のブログで、ふたりの関連を書いたことがある。
小津は戦地で、里見弴の「鶴亀」という短編を読んで感銘を受ける。なんて会話のうまい作家だろう、とホトホト感心する。それから小津の日記には、里見弴の名前が頻出。小津映画の独特の会話に、里見弴を見つけることはむずかしくない。
小津自身、戦後の作品に、里見弴の小説からいろいろなものを盗用したことを認めている。それほどに、里見弴の文学は、小津からみて豊潤だった。うまさをきわめていた。
現代あまり読まれていない里見弴の文学を再検討することは、小津がそこから何を学んだか知るうえでも興味深い、とおもうのだが、残念ながら本屋さんで入手できる里見弴の小説がすくなすぎる。
「晩春」には、里見弴の短編「縁談窶(やつれ)」がはいっていると、里見は小津をからかう。「存外まじめに小津君が否定した」と里見は書く。ストーリーに類似性はない。が、作品の香りのようなものに共通した味わいがなくもない。