- 作者: 山内静夫
- 出版社/メーカー: 冬花社
- 発売日: 2007/11/01
- メディア: ハードカバー
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山内静夫は、1925年、作家・里見弴の四男として誕生し、成長してからは、松竹へ入社。小津安二郎の『早春』(1956年)以降の作品のプロデュサーをつとめた。
山内静夫が、里見弴のことを書いた本があるというので、読んでみる。本全体の1/4か1/5の量で、期待よりはちょっとものたりなかった。
そのなかで「青春回顧」という里見弴のエッセイの一文が引用されている。以前読んだような気がするけれど、収録されている原本がわたしの本箱に見つからなかったので、転載させてもらう。
里見弴<1888年(明治21年)〜1983年(昭和58年)>は、現在彼について語るひとがすくなくなったが、白樺派の作家として登場。明治・大正・昭和の長い間活躍、微細なこころの動きをとらえる作品を書き、高い評価を受けていた。
ブログ仲間では、marcoさんが里見弴のファンで、わたしがmarcoさんのブログを知るようになったきっかけは、marcoさんが里見弴について書いている記事を読んだことから(志賀直哉についての記事もあった)。
marcoさんのブログ↓
http://garadanikki.hatenablog.com/?_ga=2.197247339.556964025.1573456881-562926823.1450316117
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文学論らしいものをしない里見弴の文学の中心にあったのは、この覚悟だったろう。
裸になる、素っ裸になる、ーー文学として、それが立派なことか、愚にもつかぬまねか、当時の私としては、それは問題のほかだった。ただ、今度もこの仕事で、なお体裁をつくり、ごまかし、いい子になろうとし、嘘をつくような精神なら、それこそもう、芯の芯までの腐りだ、生きている甲斐もない。
(後略)
「まごころ文学」ともいわれ、自分のこころに正直であることに文学の価値をおいた里見弴の、厳しい覚悟が伝わってくる。
わたしの備忘録として、アップしておきます。