かぶとむし日記

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クリント・イーストウッド監督『アメリカン・スナイパー』を見る(2月21日)


2月21日、妻とイオン板橋で待ち合わせて、クリント・イーストウッド監督の『アメリカン・スナイパー』を見る。アクション戦争映画は興味がないし、勇気を礼賛するような映画はもっと嫌い。だから、これがイーストウッド監督の作品でなければ、戦争ヒーローものとみて、関心を持たなかったかもしれない。


以前ブラッド・ピット主演『フューリー』の予告編で、敵に囲まれ、戦車から退却しようというとき(見たのは予告編だけなので、前後のストーリーはよくわからない)、主人公のブラッド・ピットが、こぶしで戦車をたたきながら力強く言う。


「おれは戦う。これがおれの家だ」


結局その勇気に他のものも賛同して戦車に残るシーンを見て、山中貞雄監督のエピソードを連想した。


山中貞雄監督は、戦場で病死したが、その前に任期が来て、日本に帰れるときがあったようだ。ところが帰国に向かう途中で、なかのひとりが「おれはこちらに残って敵と戦う」と、帰国を拒否したらしい。その男のヒロイズムの陶酔に煽られたのか、そこにいたほかの兵隊も「おれも残る」「おれも・・・」ということになって、結局山中貞雄監督ひとり帰るわけにもいかず、全員が部隊にもどり、その後、山中貞雄監督は戦病死することになってしまう。


山中貞雄監督(1909〜1938年)は、黒澤明(1910〜1998年)より1歳上で、小津安二郎監督(1903〜1963年)より6つ下。それほどむかしの監督というわけではない。戦後に生きていたら、どんな作品を残していたか。


残念ながら、ほとんどの山中監督の作品が消失している。けれど、現存している3本の作品『丹下左膳余話 百萬両の壺』(1935年)、『河内山宗俊』 (1936年、14歳の原節子が可愛い!)、『人情紙風船』(1937年)を見ても、優れた才能は明らかで、ほんとうに残念。



で、『アメリカン・スナイパー』だけど、さすがクリント・イーストウッド監督。素朴なヒーロー映画はつくらない。見終わったあとに残るのは、戦場へ夫をおくった妻の、休まることのない苦しみであったり、国のため仲間のため勇猛果敢に闘いながら、いつのまにか彼の心を蝕んでいる「戦争の傷」の深さであったり・・・むかしよく見たアメリカン・ニュー・シネマの苦いあと味を思い出した。



アメリカン・スナイパー』の予告編。
https://www.youtube.com/watch?v=Av1UW0myxiA


『フューリー』の予告編
https://www.youtube.com/watch?v=ZnHfXeIf7dA