かぶとむし日記

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阿川弘之『雲の墓標』を読む。


雲の墓標 (新潮文庫)

雲の墓標 (新潮文庫)


20代の頃読んだ、阿川弘之『雲の墓標』を再読し、国家暴力の恐ろしさを考える。この小説に登場する学生は、海軍にはいり、まもなく「特攻」とよばれる特別攻撃隊へ配属される。「100%必死」の人間爆弾で、いまあちこちで起こっている自爆テロの先駆のようなものか。帰りの燃料も積んでいない。一度基地を飛び立てば、もう帰ることができない。こんなむごい作戦を日本軍は実行した。終戦の見通し、国家の未来、着地点を見いだすこともなく、ただやみくもに学徒兵を死地に向かわせた。国家の命令は絶対で、学生たちに選択するよちはない。『雲の墓標』には、国家権力の恐ろしさが描かれている。


主人公の学生・吉野は、悩みに悩む。この戦争の正当性に疑いをもっては打ち消し、それを振り切ることによって、特攻の使命を全うしようとする。


もうひとりの学生・藤倉は、この戦争は間違っている、国家には勝算もなく、特攻の死は無意味な死だとして、出撃したらどこか無人島へ不時着して、戦争の終わるのを待とう、と計画するが、あえなく飛行訓練のさなかで事故死してしまう。


現在から見れば、藤倉はこの日本が起こした戦争の横暴さ、「特攻」に命を捧げることの無意味さを冷静にとらえているが、そのためにいっしょに京大から海軍へはいった友達である吉野や坂井、また他の学徒兵からも孤立してしまう。


吉野は、国家の作戦や非合理な軍隊組織に疑問をいだきながらも、父母兄弟姉妹のことを考え、なんとか自分との折り合いをつけ、雲を墓標に飛び立っていく。


彼らは死後、自分たちのことをどう考えてほしかったのだろうか、と考えてしまう。少なくとも「100%必死」を命じた国家から、戦後に「英霊」として賛美されることをよろこんでいるとはおもえない。この小説を読んでいると、それがよくわかる。