かぶとむし日記

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中島貞夫監督『多十郎殉愛記』を見る(4月13日)。

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4月13日、土曜日。


イオンシネマ板橋」へ、午前8時55分から中島貞夫監督『多十郎殉愛記』を見にいく。



4月12日公開 映画『多十郎殉愛記』予告編



長州を脱藩した清川多十郎(高良健吾)は、浪人となって、長屋暮らし。いつもお金がない。居酒屋「満つや」の用心棒などでわずかに糊口をしのいでいる。


そんな浪人になぜか心を寄せているのが「満つや」の娘おとよ(多部未華子)。結婚に失敗してもどったおとよは、「満つや」のお店をきりもりしながら、自分からすすんで多十郎の身の周りの世話をする。



最初に、「伊藤大輔監督に捧ぐ」という文字が出る。伊藤大輔監督は、戦前・戦中・戦後とたくさんの時代劇を撮った監督。


中島貞夫監督は、チャンバラ映画を現代によみがえらせようとこの映画を撮ったのだろう。



長州・薩摩と新撰組が日本のいく末をかけて争う幕末が舞台。しかし、主人公の多十郎は、時代の動きに背を向け、貧乏長屋で暮らすニヒルな浪人侍。そして、それを恋い慕う美しい女将(おかみ)・おとよ。


時代劇映画によくありそうなパターンを踏襲している。浪人も、おとよも類型で、それをあえてやっているのなら、それもありだが、そうはおもえない。おもしろ味も新鮮さもなにもない。


脚本がひどい。チャンバラを見せる以外はどうでもいいとしかおもえない。


時代劇を粗製乱造していた時代には、ただチャンバラを見せるために、設定もなにもテキトーな映画がたくさんあったような気がする。


しかし、いまその粗製乱造時代のようなチャンバラ映画をつくってなんの意味があるの?


めっぽう強い浪人が、やたら多勢の役人たちと闘い、斬って斬って斬りまくる。その必然性も、展開も粗雑。


多十郎は、恋人・おとよに、傷を追った弟を連れて逃げてくれ、とたのむけれど、逃げる先も、その後の展望もなにもない。おとよのような、か弱い女が、傷ついた武士を連れて、どこへ逃げたらいいのか?


つまり、あとにも先にもなにもない。チャンバラがあるだけ。


最近見た時代劇映画では、木村大作監督、岡田准一主演の『散り椿』(2018年)のような新鮮で美しい傑作があった。


それにくらべてどうだろう。この映画、作る必要があったのだろうか。ヒロイン役・多部未華子だけがわたしには救いだった。



お昼には早かったので、「コメダ珈琲」へ寄って、ホット・コーヒーとトーストのモーニングで、少し読書してからアパートへ帰る。