山中貞雄が残した3本の映画のなかでは、『人情紙風船』、『丹下左膳 百万両の壺』とくらべると、ぼくのなかでは印象が一番薄い。
今まで2回は見ているはずなのに、筋をほとんど忘れている。記憶にあるのは、16歳の原節子の、可憐な姿だけだった。
今回も、16歳の原節子を一番の目的にして、見直してみた。可憐という言葉は、この映画の原節子演じる<お浪>にこそふさわしいかもしれない、とおもう。
しかし、映画じたいは、やっぱり他の2作品ほどの魅力をかんじない。
遊び人の兄の不始末で、三百両という大金が必要になり、妹のお浪(原節子)が、品川の女郎屋に身を売って用立てる・・・という、時代劇にはよくありそうな話だ。
そこで、ひとはだ脱いでお浪を助け出そうとするのが、河内山宗俊(河原崎長十郎)と、浪人(中村翫右衛門)の、ふたりの主演級の役者たち。
しかし、時代劇として変っているな、とおもったのは、お浪を助け出そうとする宗俊も浪人も、映画の最後で立ち回りをしながら、多数に取り囲まれて、切られて死んでしまうのだ。
そのうえ、映画が終わる時点で、お浪は助け出されてもいない。
虚無的時代劇の傑作『人情紙風船』の監督作品らしく、<お浪の身は助かるのだろうか>と、というところで、いきなり主役が死んだまま終わってしまう。