練馬区立美術館。
3月7日、土曜日。
西武池袋線の中村橋駅下車。練馬区立美術館へ、『津田青楓展』を見にいく。
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津田青楓のことは、夏目漱石の木曜会に集まる弟子たちを描いた画家、夏目漱石の本の装幀をしたひと....というくらいしか知らなかった。
津田青楓の著作で、唯一持っている本。横浜の「神奈川近代文学館」の「夏目漱石展」(2016年)で買ったが、まだ読んでいない。
それ以前の津田青楓の人生、漱石が亡くなってからの人生のことは、今回の「青楓展」ではじめて知った。
漱石と会う前、青楓が、日露戦争で、激しい戦闘で知られる旅順攻囲戦(明治37〜38年)に従軍していたことは一番のおどろき。
そこで死屍累々の光景を目撃・体験したことは、「漱石と十弟子」の絵にみるような、漱石や、漱石の弟子たちとの飄々とした交流からはイメージできないことだった。
左端、「則天居士」と書かれているのが漱石。
青楓は、雑誌「白樺」(武者小路実篤、志賀直哉、里見弴などが創刊した同人誌)に、「旅順日記」を掲載したというので、帰宅してからAmazonでその本を検索したが、みつからなかった。
漱石の死後のことでいえば、プロレタリア運動に参加したことも、知った。1933年には、官憲による小林多喜二虐殺に衝撃を受け、「犠牲者」という凄惨な絵を残している。
「犠牲者」。
青楓はその後検挙され、左翼活動から転向する。彼は転向と同時に洋画を描くのをやめ、日本画・南画に専念していく。
こうした津田青楓の全体像を、さまざまな作品をとおしてみることができたのは収穫だったし、たのしかった。
見ているときはそうでもなかったが、見終わると疲れた。出口に簡単な喫茶があったので、コーヒーを飲みながら休憩。
コーヒーを飲みながら、この「津田青楓展」を教えてくれた息子に、「いま津田青楓展を見終えた。点数が多いので疲れたがよかった。漱石との交流以外の人生を初めて知った」とメールを打つ。
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帰りは中村橋駅へもどり、近くでお昼を食べる場所をさがした。そば屋さんがあったのではいり、ビールと半カレーともりそばを注文。
半カレーといっしょにソース瓶がついてきたのが、うれしかった。味もむかし風。わたしのちいさなころは、カレーにソースをかけるのが食べ方の主流だった。いまはそういうカレーになかなか出会えない。
ビールで喉を潤したあと、熱いそば湯割りの焼酎を飲む。