映画『枯れ葉』。ゾンビ映画を見るシーン。
1月24日㈬。薄曇りの寒い日。
「池袋シネ・リーブル」へ、フィンランドの映画監督、アキ・カウリスマキの『枯れ葉』を見にいく。もっと早く見たかったし、実際、1度ネット予約もしていたのに、行きそびれていた。
カウリスマキ監督のことはずっと知らなかったが、前作(5年前)の『希望のかなた』が、なんともいえない飄々としたおかしさを持った作品で、すっかり好きになってしまった。
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フィンランドの首都ヘルシンキ。理不尽な理由で失業したアンサと、酒に溺れながらも工事現場で働くホラッパは、カラオケバーで出会い、互いの名前も知らないままひかれ合う。しかし不運な偶然と過酷な現実が、2人をささやかな幸福から遠ざけてしまう。
(「映画.com」から)
https://eiga.com/movie/99293/
肉体労働でその日その日をしのいでいる極貧の男女が、カラオケ・バー(日本のカラオケのように、仲間で集まって交互に歌う感じではない。ライブハウスのようなところで飲み踊り、希望者がステージの前に出て歌う)で知り合う。
ふたりは、無口で、消極的。心のなかでは、相手が気にかかっても、なかなか先へすすまない。
初デートで見にいく映画が、ジム・ジャームッシュ監督、アダム・ドライバー主演の『ドント・デッド・ダイ』。ゾンビのコメディ映画。ふたりは笑うでもなく、見ている。
爆笑ではなく、クスクス笑い。
過酷な状況なのに、無表情。チャップリン映画の苦味と切なさを含んだ笑いに、少し似ている。そういえば、アンサが、殺処分される犬をもらいうけ、つけた名前は、チャップリン。
このチャップリンのワンちゃんが、アンサの眠るそばで寄り添うように眠ったり、野外を連れだって歩いたり、映画の後半をとてもあたたかい気分にさせてくれる。
貧しくて困窮を極めるが、彼らが投げやりに生きているわけではない。
アルコール依存症の主人公・ホラッパは、アンサから「わたしの父も兄もお酒で死んだ。それを苦にして母も死んだ」と、怒りを突きつけられる。アンサは、ホラッパに、父や兄のようになってほしくないから。
ホラッパは、無言でアンサのもとを去っていくが、彼女を断念したわけではなく、蓄えてあったお酒を棄て、必死にお酒をやめようと努力する。
彼らが、人生を棄てているわけではないのが、わかる。
ふたりの男女と愛犬チャップリンが、枯れ葉の木々が立ち並ぶ晩秋の道を、からだを寄せあうようにして立ち去っていくラストシーンが、美しい。
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映画が終わっても、まだ午後1時。半日コースで散歩しようと思っていたが、外は薄曇りで寒い。ベンチで本を読む陽気でもない。
池袋駅を反対側の東口へ出て、しばらく明治通りを歩く。15分ほどで「鬼子母神」へ着く。
ホウ・シャオシェン監督、一青窈(ひととよう)主演の映画『珈琲時光』(2003年)では、一青窈は「鬼子母神駅」から、都心へ通っている。
ドキュメンタリー映画のような『珈琲時光』に感銘を受けたので、映画を見てから、さっそく「鬼子母神」と「鬼子母神駅」へ散歩したことがある。「鬼子母神」へ来ると、いまも『珈琲時光』のことを思い出す。
「鬼子母神」へ寄ってから、「鬼子母神駅」で都電荒川線に乗り、2つめの「東池袋駅」で降りる。
東池袋から池袋駅に向かって、ぶらぶら歩いていると、池袋の図書館があったので(むかし、ここへ落語のカセットテープを借りにきた)、立ち寄り、1時間ちょっと角田光代著『笹の舟で海をわたる』を読む。
戦中の疎開で知り合ったふたりの女性の戦後の人生が描かれる。ふたりの女性を明暗の類型にせず、仲のよさも、心の隙間も描ききっている。うまいなあ、いい小説だなあ、とおもう。
池袋で午後3時からあく、居酒屋「青龍」へ立ち寄る。ここが開店するまでのあいだ、図書館で時間を潰していたわけではないが‥‥それも頭の片隅になかったわけではない(笑)。