3月2日㈯。
「ヒューマントラストシネマ渋谷」へ、リサ・コルテス監督の『リトル・リチャード アイ・アム・エヴリシング』を見にいく。ひさしぶりの渋谷。若いひとが多くて、落ち着きどころがない感じ。映画を見たら、さっさと退散しようとおもいながら、明治通り沿いにある映画館まで歩く。
★
1955年、デビュー曲「トゥッティ・フルッティ」の大ヒットで彗星のように音楽シーンに現れた黒人アーティスト、リトル・リチャード。反権力志向の若者たちの心をつかんでヒット曲を連発するも突然引退を宣言し、5年間にわたる“教会への回帰”を経て、復帰後はイギリスツアーを通じて無名時代のビートルズやローリング・ストーンズに決定的な影響を与えていく。当時のアメリカでは南部を中心に人種差別が激しく、さらに彼はゲイを公言する性的マイノリティーでもあり、陽気なキャラクターを演じつつも壊れやすい繊細な魂をもつ人物だった。
(「映画.com」より)
https://eiga.com/movie/100823/
★
1960年代初期、ビートルズを知る以前から、エルビス・プレスリーやクリフ・リチャードは知っていたけど、リトル・リチャードは知らなかった。でも、日本の歌手(内田裕也、鈴木やすし)が歌うリトル・リチャードの曲は、それがリトル・リチャードの曲とは知らずに聴いていた。
わたしが彼をハッキリ知ったのは、ビートルズの「のっぽのサリー」(リチャードのカバー曲)を聴いてから…。
鈴木やすし「ジェニ・ジェニ」。
www.youtube.com
★
連打するピアノ、叫ぶヴォーカル、強烈なビート----時代をさかのぼって聴いたロックン・ローラーのなかで、わたしがもっとも夢中になったミュージシャンがリトル・リチャード。
そのころ(1964年)、ビートルズの楽曲のなかでも、強烈なロックンロールがとくに好きだった。その象徴のような「ウォー!」とか「ギャー!」とか「イエー!」との「叫び」。
そして、その「叫び」の先人がリトル・リチャードであることを知って、なお好きになった。
リトル・リチャードは、黒人でゲイ。歌うのは良識人たちが眉をひそめる反社的なロックンロール。存在自体が、社会的問題の宝庫のようなところがあった。
60年代のはじめ、エルビスやパット・ブーンも、リチャードの曲をカバーをして、本人よりも売上げをのばしていた。
とくにパット・ブーンは、白人向けに「砂糖やミルクをいっぱい入れたコーヒー」のようにアレンジされていた。時代の流行も、明るいポップなロックンロールが主流な時代だった。
エルビス・プレスリー「のっぽのサリー」。さすがエルビス。思ったほど、甘ったるくない。
www.youtube.com
パット・ブーン「のっぽのサリー」。さすがに、これは----?
www.youtube.com
★
1962年にビートルズが、1963年にローリング・ストーンズが登場する。彼らはそれぞれ(同じツアーではない)、リトル・リチャードのイギリス・ツアーにオープニング・アクトとして出場した。
映画でも、ポール・マッカートニーやミック・ジャガーがインタビューに応えているが、彼らはリトル・リチャードを尊敬していて、前座をつとめることをよろこんだ。
それまでの白人のように、メロディを拝借して、売上げをのばすためのカバーとはちがっていた。
ビートルズが歌い演奏する「のっぽのサリー」は、秀逸なカバーで、原作者のリチャードも認めている。
ビートルズ「のっぽのサリー」(1964年)。
www.youtube.com
ビートルズやローリング・ストーンズが尊敬するミュージシャンとして名前をあげることで、黒人ロックンローラーのレジェンドたちが、再び音楽界の第一線にもどってきた。その筆頭がリトル・リチャード。
★
【映画の感想は…?】
音楽を聴いたほどには、リトル・リチャードの映像をたくさんは見ていないので、彼の人生と人間を辿るインタビュー・シーンも新鮮だった。
それに随所に登場するリチャードは、演奏シーン以外でも、「うるせえよ!」といいたくなるほどエネルギーにあふれている(笑)。
こんな騒がしいひとが側にいたらうざったいだろうに(笑)、インタビューに登場するひとたちは、彼の音楽と人間性を、そのうっとおしさも含めてリスペクトしているのがわかる。
音楽シーンは、絶品。いい時間を過ごせた。
映画公式サイト
https://little-richard.com/
★
映画が終わってから、音楽評論家の萩原健太さんとミュージシャンで評論家の近田春夫さんのトーク・イベントがあった。
わたしは、近田春夫さんは知らなかったが、萩原健太さんは、ラジオや著書でもおせわになっているので、髪が白くなった現在形の萩原健太さんを見られてうれしかった。
以前より、だいぶダイエットしたようで、なかなかスリムになっていた。健太さんを見習わなければならない。
萩原健太さんは、リトル・リチャードの音楽と人生を「too much」と表現し、日本語で「過剰」と言い直していた。ピッタリな形容だとおもった。
彼の音楽も人生も破格だった。常識を超えていた。
最後にリトル・リチャードの「のっぽのサリー」。なんど聴いてもワイルドだ!
www.youtube.com