5月1日〜5月3日(2泊3日)。
団体ツアーの「小豆島旅行」に、Tochan(とっちゃん)、Sさん、わたしの3人で参加する。
『二十四の瞳』の舞台になっている小豆島へ一度訪れてみたいと思っていたけれど、めんどくさがりの背中を押してくれたのは、つるひめさんのブログ。旅心を誘う紀行文。
◆つるひめさんのブログ
【前編】
https://tsuruhime-beat.hatenablog.com/entry/2022/05/04/212423
【後編】
https://tsuruhime-beat.hatenablog.com/entry/2022/05/08/205001
1泊目は小豆島、2泊目は道後温泉に泊まる。
★
【1日目】
初日は、どこへ寄るというより、新幹線と船の旅。
東京から岡山まで新幹線──約3時間10分。
岡山から小豆島へ──約70分の船旅。
海の風を浴びながら缶ビールを飲む。天気はよくて気持ちがいい⋯⋯Tochan、Sさんとまとまりのない昔話をする。
以下、その一部。
Tochanの妹ヨウコさんの話。
1970年代はじめのころ、ヨウコさんが、文化人類学者(名前忘れた)のお手伝いをしていたことがある(たぶん一時期だけ)。
わたしは少し前、たまたまその学者の本を読んでいたので、ヨウコさんに疑問をただしてみた。
それで、「あの先生は1年間に数回しか風呂へ入らない、というけど本当なの?」と聞いたら、ヨウコさんは「先生はそうみたい。でもわたしはもっと入るよ」と笑っていた──そんな記憶を話す。
その流れから⋯⋯
その文化人類学者がドキュメンタリー映画を撮っていて、偶然その助手をやっているわたしの知り合いがいたが、時期がずれるのか、ヨウコさんは、その人を知らなかった。
Sさんが「それ誰?」と聞くので、「ナカノ君」というと、Sさんも知っているひとなので「ああ」となっとくした。ナカノ君は、最近では(といっても6〜7年前)エリック・クラプトンのコンサートで会っている。
また話が別のことにそれる⋯⋯
そういえば同級生の「スーちゃんが大学で映画の勉強していたけど、Tochan、いまどうしているか知らない?」とわたし。
スーちゃんは、Tochanの小学校からの同級生で、家も近かった。
彼は、一時期わたしの家へよく遊びにきていて、新しく起こっている映画の動向や前衛美術の話をした。彼が話す方で、わたしは聞く方だったけれど。
オノ・ヨーコが『レイプ』(1969年)という短編映画を撮っているんだけど、これカメラが逃げる女性をひたすら追いかける、というだけなんだよね、とアヴァンギャルド映画の話をしてくれた。
それから、「最近こういうマンガ家が出てきた」と、雑誌「ガロ」の「つげ義春特集号」を貸してくれた。読んでびっくり──わたしはつげ義春の大ファンになった。
スーちゃんには、二十歳前後ずいぶん刺激を受けていたけど、その後ずっと会っていない。どうしているだろう?
Tochanは、自分の家が、スーちゃんの実家に近くても、その後の交流がなくて、スーちゃんの現在を知らなかった。
話は続く⋯⋯。
当時、スーちゃんのおかあさんは助産師をしていた。
S(わたしの妻)さんが、
「ナオヤ(長男)が生まれるとき、わたしはスーちゃんという人のおかあさんのお世話になっている。そのとき、『うちの子は変わった子で、親のいうことをちっともきかない。好き勝手なことばかりしてる』とこぼしていたけど」という。
ふだんすっかり忘れていることを、ひょんなことから連鎖的に思い出す──そういう無為なたのしい時間を船の上で過ごした。