岡山県の山奥、秋津温泉を舞台にした、ダメ男(長門裕之)と、愛に一途な女(岡田茉莉子)のラヴ・ストーリーです。豊田四郎監督の映画「雪国」と、成瀬巳喜男監督の映画「浮雲」がまじったような作品でした。
1つの場所でひたすら待つ女と、気まぐれのように、不意にそこを訪れる男の関係は、「雪国」の芸者駒子(岸恵子)と画家島村(池部良)の関係を連想させるところがあります。
また、男の煮え切らない態度に気持ちを傷つけられながらも、一貫して愛情をそそぎ続ける女の熱情は、映画「浮雲」の富岡(森雅之)を愛する、幸田ゆき子(高峰秀子)に、似ています。
しかししかし、、、
「秋津温泉」は、ぼくにはどうしようもない退屈な映画でした。半分からもういやになり、話にも登場人物にも、気持ちがすっかり冷え切りました。
■人物が自分で自分の心を解説するのに、ビックリ!(笑)
どこが、ぼくにはダメなのかというと、、、
登場人物の感情がすべて露出しています。これがいやでした。周作(長門裕之)と新子(岡田茉莉子)は、終始泣いたり、笑ったり、嘆いたり、死ぬことをほのめかしたり、とにかく観客がくたくたになるほど、感情をあらわにします。抑えた演出などどこにもみあたりません。感情をあらわにするだけでなく、あのときわたしはこういう気持ちだったのよ、ぼくはこうだった、といちいち自己解説をやってのけるのには、ちょっとおどろきました。少しは、観客に余白を想像させてはどうなのか、とおもいますが。
■桜が咲いていれば、いい景色なの?
周作が訪れる秋津温泉は、バカの1つ覚えのように、毎度毎度桜が咲き誇り、風が花びらを散らしています。なにか地方芝居の安価な舞台セットを見ているようです。もう少し、景色の変化を描写する発想をもっていないのでしょうか。
桜の花がチラリホラリ散るなかの「最後の愁嘆場」は、三文芝居のようでした。
「小津安二郎は古い。すでに過去の人」と強烈な批判を浴びせた吉田喜重監督ですが、わたしが見る限り、無惨なほど「秋津温泉」は、古臭いメロドラマでした。
映画のあと、吉田喜重監督のトーク・ショーがありましたが、残って聴く気持ちになれず、すぐに映画館を出ました。
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