かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

広島と長崎、原爆投下を描いた2つの小説を読む

51年目のあたらしい憲法のはなし―文部省発行“幻の教科書”今復刻
ぼくは1949(昭和24)年生まれなので、戦争を体験しない世代です。小学校へ入ったときに、あたらしい憲法について説明を受け、日本は永遠に戦争を放棄しました、と女性の先生からいわれました。民主主義についても、説明を受けました。どんなことも、みなさんで意見を出し合って、答えを決めましょう! それが民主主義の方法です……。

ぼくが、日本の国民がどれほどひどい犠牲を払って、平和憲法「民主主義」を手にいれたのか知ったのは、もっとあとでした。

日本の兵隊や市民が次々次々死んでも死んでも、「日本帝国」の指導者は、降伏する決断がつかず、天皇一族の行く末の安全を第一に心配しました。もし日本が無条件降伏して、天皇が裁判を受ければ、「A級戦犯」として裁かれる可能性が強かったからです。それだけは断じて避けなければならない、無条件降伏をするにしても、「天皇一族の安泰」だけは、死守しなければならない、それが最重要項目である……。

そんなさなかに、原子爆弾が8月6日広島、8月9日長崎、に投下されました。「日本帝国」は、ついに連合軍の提示した「無条件降伏」を受諾しました。このままでは、天皇一族がいる東京まで原爆を投下されるのではないか、とおもったのでしょうか。

一方、アメリカは、原爆の被害実態を押し隠し、その事実を伝える資料を没収しました。原爆がいかに非人道的で残忍な大量殺戮だったかを隠匿し、原爆投下によって戦争を終結することができた、とその成果をアピールしました。ある意味それも事実でしたが、その代価はあまりにも広島、長崎の被爆者には大きすぎました。

8月15日、天皇玉音放送を聞いたときの感情を、原民喜は「廃墟から」という小説で以下のように書いています。

「惜しかったね、戦争は終わったのに……」と声をかけた。もう少し早く戦争が終ってくれたら−−この言葉は、その後みんなで繰返された。


岩波文庫『小説 夏の花』より、P36)

もう1ヶ月早く日本が降伏していたら、広島も長崎も原爆投下から免れていたのかもしれませんでした。





原民喜「夏の花」


原民喜の代表作です。原民喜は、実際に広島で被爆し、自身逃げ惑いながら、その状況を描写しています。すごくリアルで、ぼくは10代のときはじめて読んですごい衝撃を受けました。例えば、こんな描写が……

「おじさん」と鋭い哀切な声で私は呼びとめられていた。見ればすぐそこの川の中には、裸体の少年がすっぽり頭まで水に漬って死んでいたが、その屍体と半間(はんげん)も隔たらない石段のところに、二人の女が蹲(うずくま)っていた。その顔は約一倍半も膨張し、醜く歪み、焦げた乱髪(みだれがみ)が女であるしるしを残している。これは一目見て、憐憫(れんびん)よりもまず、身の毛もよだつ姿であった。


(上と同じ、P18)


原爆投下直後の広島が、作家の冷静な目で描かれています。最初、原民喜は「原子爆弾」というタイトルで、これを書きましたが、アメリカ占領軍の検閲で発表できず、書かれてから2年後の1947年に、「夏の花」というソフトなタイトルに改題されて、陽の目を浴びました。




井上光晴『明日〜一九四五年八月八日・長崎』


こちらは、黒木和雄監督の映画『TOMORROW/明日』の原作。原爆が投下される、前日の長崎市民を描いたもので、ふつうの日常が描かれています。結婚や出産など、わたしたちが、ずっとこれまでやってきて、これからも継続していくはずの日常が描かれています。気軽に「では、明日またね」というような、なにげない挨拶が重い意味をもってくる小説です。登場するどの人物にも、継続していく明日がやってこないわけですから。

井上光晴の描きたかったテーマは、というより、この原爆を主題とした2冊の共通テーマは、本著の扉に引用された、以下の言葉に集約されています。

人間は私の父や母のように霧のごとくに消されてしまってよいのだろうか。


(「人間が霧になるとき」若松小夜子・長崎の証言・5)