自分の体の中に、死の病がとりついてしまったら?
その恐怖と闘った高見順の詩集『死の淵より』は、読むのがつらい作品です。死にとりつかれた理不尽さと恐怖。高見順の苦しみ。
■汽車は二度と来ない
わずかばかりの黙りこくった客を
ぬぐい去るように全部乗せて
暗い汽車は出て行った
すでに売店は片づけられ
ツバメの巣さえからっぽの
がらんとした夜のプラットホーム
電灯が消え
駅員ものこらず姿を消した
なぜか私ひとりがそこにいる
(略)
この詩のもつがら〜んとしたような心の空洞。
もっと直接的な苦しみも歌われています。
■泣きわめけ
泣け 泣きわめけ
大声でわめくがいい
うずくまって小さくなって泣いていないで
膿盆(のうぼん)の血だらけのガーゼよ
そして私の心よ
高見順は、時に死を冷静に受け入れようとします。死の事実を逆らわず、受けいれることによって、恐怖をやわらげようとしたのかどうか。
■帰る旅
帰れるから
旅は楽しいのであり
旅の寂しさを楽しめるのも
わが家にいつかは戻れるからである
(略)
この旅は
自然へ帰る旅である
帰るところのある旅だから
楽しくなくてはならないのだ
もうじき土に戻れるのだ
(略)
大地へ帰る死を悲しんではいけない
肉体とともに精神も
わが家へ帰れるのである
ともすれば悲しみがちだった精神も
おだやかに地下で眠れるのである
(略)
古人は人生をうたかたのごとしと言った
(略)
私はこういう詩を書いて
はかない旅を楽しみたいのである
未練の残る人生であっても、最期はいさぎよく去っていきたい、そんな自分を鼓舞するような強い詩もありました。
■黒板
病室の窓の
白いカーテンに
午後の陽がさして
教室のようだ
中学生の時分
私の好きだった英語教師が
黒板消しでチョークの字を
きれいに消して
リーダーを小脇に
午後の陽を肩さきに受けて
じゃ諸君と教室を出て行った
ちょうどあのように
私も人生を去りたい
すべてをさっと消して
じゃ諸君といって
詩集『死の淵より』を読んで一番好きな詩は、「青春の健在」*1という作品です。
高見順は、若い青年たちに希望を託して、人生にわかれを告げようとします。なんと力強い精神でしょうか。「青春の健在」は、何度読んでも、すばらしい詩です。
tougyouさん、『死の淵より』のご紹介ありがとうございました。