jinkan_mizuhoさんが、こちらのブログで詳しく紹介してくださった本です。
■BC級の戦犯とは?
【注】B級=国際法に反して非占領国の住民を虐待、殺害した容疑。C級=政治、人種、宗教的理由で殺害、迫害をした容疑。
(本書より。以下引用は同じ)
捕虜や住民を虐殺した……多くのB・C級戦犯の罪状はこれだった。
誰もが、戦争では、この陸軍刑法や軍人勅諭をもとに行動した。命令は絶対だった。ところが戦争裁判では、その命令を下した上官は、口を閉ざして、責任を回避する。
「日本軍における命令は、必ず服従しなければならぬというものではない。不法と考えられる命令には、意見を具申すればよいのである」と、ある大佐は証言した。これを米軍は、タテにとって、厳しく追及してくる。
さらに、命令の頂点に立つ天皇は、裁かれることを逃れた。こうして、責任の所在が宙に浮く。
B・C級戦犯にそのしわよせが及んだ。
命令した責任者は口をつぐんでも、戦争犯罪の事実は消えない。家族を虐殺された被害者の恨みは残る。それを一体誰が背負うのか。
B・C級裁判の受刑者のおおくは、上官の命令を実行せざるをえなかった。実際手をくだした者もいるが、まったく身に覚えのない者もいた。しかし、やむをえなくやった行為であろうが、冤罪であろうが、憎しみの後始末は誰かが背負わなければならない。その罪を彼らは背負った。
もともと勝者が敗者を裁く裁判。公平や真実は、二の次にされた。
遺族や生き残った受刑者の証言、死刑囚の日記や手紙から、受刑者の生々しい苦悩の日々が伝わってくる。ひとりの人間が引き受けるには重過ぎる苦しみ。『戦犯』は、戦争というものが生み出す副次的な悲劇のレポートだ。
- 戦争が終わりながら、妻や親や兄弟を残し、殺されていかなければならない受刑者の無念はどのようなものであったか。
- 身内から戦犯を出した、遺族のつらい戦後の歩み。
- 受刑者は、絞首台に立つまでの日々をどのように過ごしたのか。
すべて本書には詳しいが、ここにそこまで書く余裕がない。
■処刑前夜〜最期の晩餐
戦争がなければ、まだ長い人生があるはずの頑健なからだが、連日6人、8人、10人……と処刑されていく。1回に、3人ずつくらいに分かれて、処刑されていく。残ったものは、それを独房から見守りつづける。きょう処刑されなかったものも、あしたは、それが自分になる……。
処刑される前夜の<最後の晩餐>。
明日の処刑が決定したひとたちは<晩餐>がゆるされる。その夜は6人。
六人は、庭に広げた毛布の上に料理を並べはじめた。若松(本書の証言者のひとり)さんの記録によるとそのメニューは、パン、バター、ジャム、ハムエッグ、ローストビーフ、ライスカレー、ケーキ、チョコレート、パパイア、それにうどん……。
やがて晩餐会が佳境をむかえる。
淡い月の光の下で、中庭の晩餐会の六人は、思い思いの隠し芸をはじめた。民謡、都々逸。独房の中から拍手が起こる。小崎(こざき)上等兵曹が安来節(やすきぶし)を唄い、他の五人がスプーンや箸で食器や空き缶をたたいてはやす。永翁(ながお)上等兵曹は皿を笊(ざる)がわりに泥鰌(どじょう)掬いだ。
(略)
「(略)夜の間中、それは続きましたよ。私たちは、明け方になってうとうと、としたんかな。独房をあける鍵音で飛び起きたときには、あの人たちはもう、シャワーを浴びていました」(若松さんの話)
処刑の朝、、、
靴音が廊下に響いた。そして間もなく、<死の扉>のあたりから、別れを告げる声が届いた。
「小崎はただいま出発しまーす。さようならあーっ」「永翁(ながお)です。さようならーっ」「多田です。さようならーっ」
「死の扉をくぐると、みんなが花道と呼んでいた長さ五メートルほどの上がり廊下があるんです。十三階段ではなくて。で、この花道をのぼりきると、絞首台。そこでね、みな声を限りに万歳を叫ぶんですよ」(若松さんの話)
「バンザーイッ」「バンザーイッ」「バンザーイッ」……静まり返ったPホールに響きわたる張り裂けるような声。そして、それが「パァ」と途切れたかと思うと、「バンッ」と、地響きを伴った音。絞首台の床板と人間の体が落ちるその瞬間の音を、「隕石が落ちる」ような音、と言った人がいる。
■最期の言葉
昭和21年5月、シンガポールで処刑された木村陸軍上等兵(享年28歳)は、こんな言葉を残している。
「……今、私は世界人類の気晴らしの一つとして死んでいくのである。私はなんら死に値する悪をしたことはない。しかし今の場合、弁解は成立しない。全世界から見れば、私も同じく日本人である。彼らの目にとまった私が不運とするよりほか、苦情の持って行き所はないのである。日本の軍隊のために犠牲になったと思えば死に切れないが、日本国民全体の罪を一身に浴びて死ぬと思えば、腹も立たない。笑って死んでいける」
「吸う一息の息、食う一匙の飯、これら一つ一つのすべてが今の私にとっては現世への触感である。昨日は一人、今日は二人と絞首台の露と消えていく。やがて数日のうちに私へのお呼びもかかるであろう。それまでは何の自覚もなくやってきたこれらの事が、味わえば味わうほど、このように痛切なる味を持っているものであるかと驚くばかりである。
「泣きたくなることがある。しかし涙さえ今の私には出る余裕はない。極限まで押しつめられた人間には何の立腹も悲観も涙もない。ただ与えられた瞬間瞬間をありがたく、それがあるままに享受していくのである。死の瞬間を考えるときには、やはり恐ろしい不快な気分に押し包まれるが、そのことはその瞬間がくるまで考えないことにする」
処刑前夜の心境を次のように書いて、木村陸軍上等兵は最期を迎えた。
このごろになってようやく死ということがたいして恐ろしいものではなくなった。決して負け惜しみではない。病んで死んで行く人でも、死の前になればこのような気分になるのではないかと思われる。このぶんなら、たいして見苦しい態度もなく死んでいけると思っている。
今では父母や妹の写真もないので、毎朝毎夕目を閉じて、昔の顔を思い浮かべては挨拶している。あなた達も、どうか目を閉じて、私の姿に挨拶を返してください
おののきも悲しみもなし絞首台 母の笑顔をいだきてゆかん
読み終えるのがつらい本でした。何度か中断しました。でも、彼らが苦しみ残した体験を、忘れないために読んでよかったとおもいます。
ご紹介くださったjinkan_mizuhoさん、ありがとうございました。