わたしも見てきました。全体の感想としてはringoさんと変わりません。
制作者がボブ・ディランの多面性を6人の俳優に分割しようとした意図はわからなくはありませんけど、意図だけに終わっているようです。ひとりの俳優(ケイト・ブランシェット)をのぞいては、「どこかディランなのかよ、しかし」というわけのわからぬ<ディラン>でしたし(つまり見ていて、映画的におもしろくない!)、これで複雑なボブ・ディランの人間像を描いた、といわれても、こちらは困ってしまいます。
そういえば、数年前アメリカで『レノン』というミュージカルが上演されて、黒人や女性までがジョン・レノンを演じて、ジョンの多面性を描いた、ということでしたが、あれはその後どうしたのでしょうか。
この映画『アイム・ノット・ゼア』のことを知ったとき、このミュージカル『レノン』とよく似た企画だな、とおもいました。
「詩人、無法者、映画スター、放浪者、革命家、ロックスター」。
ボブ・ディランを6つの類型に分けて、そこから何が見えてくるのか。それが伝わってきません。
結論として、『アイム・ノット・ゼア』を見るなら、まずその前にマーティン・スコセッシ監督の力作『ノー・ディレクション・ホーム』を見てほしいですね。ボブ・ディランを映画で見るなら、こちらが先です。比較になりません。
ただ救いはありました。
この映画『アイム・ノット・ゼア』の魅力は、一にも二にも、ディランの顔の神経質な表情や、こまかな手の動きまでも表現しようとしたケイト・ブランシェットのしびれるような演技に尽きてしまいます。これは見るに値します。
彼女の演じる<ディラン>だけでいい、と割り切れば、それはそれで、見逃すことのできないたのしさですし、「恐るべし、女優の執念!」というような尋常でない気迫を感じました。