かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

千葉伸夫『評伝山中貞雄』


評伝山中貞雄―若き映画監督の肖像 (平凡社ライブラリー)
tougyouさんの紹介で、少し前に読みました。


山中貞雄の映画は見ていても、その生涯のことは何も知りません。この1冊で、いろいろなことを知りました。


29年に満たない短い生涯ですが、自身では26本の時代劇を監督したようですね。


ところが、現存している作品は、『人情紙風船』、『百万両の壺』、『河内山宗俊』の3本だけ。しかも、この残った3作品が必ずしも山中貞雄の優れた作品、というわけでもないようです。もっといっぱい残っていてほしかったですね。時代劇は、消耗品だったということでしょうか。


それでも、ぼくの見た『人情紙風船』と『百万両の壺』は、とても優れた作品でした。だから、山中貞雄の才能を、ぼくですら実感することができるのです。


山中貞雄には、娯楽映画を器用に作れる才気があり、それがために、忙しい映画会社から重宝に使われたところもあって、じつは才能を浪費していたのでは、という周囲の見方のあることも、この本で知りました。


山中貞雄は、最後にいままでとは一風かわった『人情紙風船』をつくりました。『人情紙風船』は山中貞雄の遺作として、彼の才能を知るうえで、貴重な作品でありますけど、これは彼の代表作というよりも、新しい門出を告げる作品であったようです。


山中は、京都から小津安二郎のいる東京へ引越して、本格的な映画づくりの環境を整えます。


その矢先の出兵ですから、これは日本の徴兵制度を憎むしかありません。


およそ軍人にはにつかわしくない、もっさりとしたどこかユーモラスな山中貞雄が軍隊にはいって、どんな苦労をしたか、想像するしかありませんが、やはり最後まで軍人になりきれなかった、詩人竹内浩三の苦しみを連想してしまいます。


1938(昭和13)年9月17日、山中貞雄は中国河南省開封の病院で、激しい下痢に苦しみ、衰弱死します。28歳の若さでした。


年齢的には、黒澤明より1歳上。ほぼ同世代です。もし戦後元気なら、黒澤明と並んで、日本映画の歴史に、たくさんの傑作を残してくれただろうと、惜しまずにいられません。