広子(入江たか子)は、仲のいい従兄(いとこ)に淡い恋心を抱きながらも、親の薦める資産家の息子へ嫁いでいく。それが幸せだとおもっていた。
しかし、嫁いだ夫とは、仲のいい従兄とのような気軽な雑談ができない。そこには、厳然とした家のしきたりがあった。
夫は、気が向いたときだけは、かわいがってくれるが、妻を対等な人間とはおもっていない(イプセンの「人形の家」を連想させる)。
広子は、日々、家ぐるみで<無料家政婦>のようにこきつかわれる。
このなかで、夫の妹の女学生がふてぶてしい。
「わたし、お姉さんは嫌いだわ」といいながら、金はせびるは、用はいいつけるはで、こんな小姑がいたらたまらないだろう・・・という感じをよく出している。
この映画、ひとことでいえば<渡る世間は鬼ばかり>。
成瀬巳喜男は、後年『女の座』や『乱れる』などで、小姑が嫁をいびるような映画を撮るが、その片鱗がうかがえる作品。
成瀬巳喜男得意のテーマだ。ただ、ここにはテーマに義理立てしているような硬さがあって、後年のような、テーマの観念性を描写のなかにとかしこんだような自在さはない。
■ringoさんが、女性の立場から見た『女人哀愁』の感想が、こちらにあります。