先日こちらで、ヘンリー・キング監督『拳銃王』(1950年)について映画の感想を書いたら、tougyouさんが、こんなコメントをくれた。
ところで『拳銃王』について川本三郎の『ロードショーが150円だった頃 思い出のアメリカ映画』( 晶文社 2000年)を読んでいたら書いていました。ラストのことを更にひとひねりして書いてあってとても面白かったです。
さすがtougyouさん、本当に目配りが広い。この本は以前図書館で借りて読んでいたが、その時は『拳銃王』を見ていなかったので、読み飛ばしてしまったのかもしれない。どんなことを書いてあったかまったく記憶がないので、もう一度図書館で借りて読んでみた。
『拳銃王』の西部劇としての意外性や意表をつくラスト・シーンについて、川本三郎はことこまかく触れている。読みの深さはとてもかなわない。
そして、tougyouさんがご指摘のように、こんな興味深い推測を加えている。
近年発売されたこの映画のビデオを見ていて、もうひとつ驚くことがあった。グレゴリー・ペックが撃たれて死ぬ。そのあと町の保安官や妻たちによって教会で葬儀が行われる。そこで終わりかと思っていると、そのあと、馬に乗った男が遠くへ去って行くシーンが付け加えられている。
このシーンは何を意味するのか。単なるイメージ・シーンか。劇場プログラムの「ストーリー」はグレゴリー・ペックが死んで葬儀を行われた、で終わっている。
だが、こうは考えられないか。保安官と妻は、男が撃たれたとき、とっさの機転で彼が死んだことにした、負傷しただけなのに死んだということにして葬儀を行なった。そうすれば、もう彼を狙うガンマンは現れなくなり、これからは静かで平和な暮しが保証されるのだから。
(川本三郎『ロード・ショーが150円だったころ』より)
この映画のテーマともぴったりと符合する興味深い、ラスト・シーンの推察だ。
ぼくは、川本三郎が指摘する「馬に乗った男が遠くへ去って行くシーン」を覚えていない。で、これから眠る前にそのラスト・シーンを確認しようとおもっている。
【追記】<しまった!>、『拳銃王』の録画されているDVDを川越の家に置いたままでした。確認は、週末になってしまいます。